第九百七十七夜 中原道夫の「台風の目」の句

 そういえば、このところ大きな台風は守谷市には来ていない。近くには大河の利根川が流れているが、現在は、堤防もしっかり出来上がっている。この地に住むようになってからのことなので、7、8年ほどである。
 7年前の2015年9月10日には、北関東や東北を台風による豪雨が襲い、宮城、茨城、栃木の3県に鬼怒川の決壊による被害が出て、常総市の住宅街にも濁流が流れ込んだことがあった。息子の会社も社宅も近かったので心配したが、濁流に覆われた反対側の町に住んでいたので難を免れた。
 豪雨が収まった直後に、鬼怒川の向こう側を通って息子の様子を見に行き、やっと一安心した。
 
 東京の練馬区に長いこと住んでいたが、都会では見ることのなかった光景であった。
 
 今宵は、「台風」「稲光」の作品を見てみよう。 


  台風の目つついてをりぬ予報官  中原道夫 『顱頂』
 (たいふうのめ つついておりぬ よほうかん) なかはら・みちお

 深見けん二先生の「花鳥来」に所属していた私は、ある時、先生宅に届いた句集がたくさん贈られてきた。しばらくして、好きな作品を一句鑑賞してみませんか、というお話があった。高浜虚子門の「ホトトギス」の作家だけでなく、俳句界の様々な作品に触れてごらんなさい、ということであった。
 その中に、中原道夫さんの『顱頂』があった。顱頂も知らない言葉であったが、頭のてっぺんのことである。

 掲句は次のようであろう。
 テレビで気象解説をしている予報官を詠んだ作品である。このところ、台風14号の行方が、地図上では日本列島に沿うような形になっている。予報官のもつ、先が丸くなっている指し棒は、台風の動く方へと日本地図をつんつん指してゆく。
 中原道夫氏の俳句は、知性のひらめき、言葉の目眩しの句、であると言われるが、これまで見なかった捉え方であった。「台風の目つついてをりぬ」という表現は、一瞬錯覚しそうになるが、対象を実によく観察し、季題の本質に迫っている。把握した本質からの発想表現の作品なのである。
 
 最初に惹かれた中原道夫作品は次の句であった。

  初蝶は正餐に行くところなり 『顱頂』
 (はつちょうは せいさんにゆく ところなり)

 鑑賞をしてみよう。
 昔、西欧では、少女がある年齢になると社交界へのデビューとしてパーティーへ招かれるようになる。最初は真っ白なドレスを着て、胸を高鳴らせ、どきどきしておどおどして出掛けてゆく。
 道夫氏は「初蝶」からこんなイメージを得た。そこには「正餐」という美しい言葉が添えられた。

 プロフィールは、1951年、新潟県西蒲原郡岩室村(現・新潟市)の生まれ。多摩美術大学卒業。能村登四郎主宰の「沖」に入会。1990年、第1句集『蕩児』により第13回俳人協会新人賞を受賞。1994年 第2句集『顱頂』により第33回俳人協会賞を受賞。1998年、『銀化』を創刊主宰。


  台風にけんかなかまもかたよせる  小3 垣本欣美 『小学生の俳句歳時記』あらきみほ編著
 (たいふうに けんかなかまも かたよせる) かきもと・よしみ

 電車で聞こえてきた小学生の男の子のことばだ。
 「女の子に泣かれるとこまるよな。男同士なら、ごめんなって、肩をたたけばすむのになあ。」
 仲直りの方法を知っているのが「けんかなかま」である。
 
 欣美さんの句は、台風の日の下校風景であろうか。2人は激しい風雨の中を肩をよせあうようにして歩いてゆく。
 「けんかなかま」とは、助け合うことのできる仲間なのであった。