第九百八十七夜 中村汀女の「もろこし」の句

 夫が畑作りに夢中になっていた頃、通り道になっている畑の片側にトウモロコシを柵のようにして植えていた。時には、実がなって良い具合に茎から飛び出た形になると、ポキっと折っていく人もいたようだ。明日の朝あたりに収穫して、女房や子どもたち喜ばせようとした矢先のことであった。手折っていく人も、頃合いを見計らっていたのだろうか。

 また、トウモロコシにはアブラムシが付いて真っ黒になることも多かった。以前は、たくさん作っていたが、最近はどの野菜も少しずつ、食べられるだけ、季節の食材によいものを考えて作っている。
 
 新鮮な野菜を天ぷらにするのが、料理が得意というほどではない私にとって「誉めてもらえる」数少ないレパートリーの一つである。何度が書いたことがあるが、夫が高校教師をしていた頃の卒業生の天ぷらの店「天ひろ」に通ううちに、覚えた名残である。
 トウモロコシの実を削ぎ切りにして、天ぷらにすると豪華になるし、なかなか美味しい。
 
 今宵は、唐黍、もろこし、トウモロコシの作品を紹介しよう。


  もろこしを焼くひたすらになつてゐし  中村汀女 『新歳時記』平井照敏編
 (もろこしをやく ひたすらに なっていし) なかむら・ていじょ

 「ひたすらになつてゐし」に、わが家で収穫したトウモロコシをベランダで焼いた頃を思い出した。室内のガスレンジはオーブンも付いているが、夫は、ピクニックのように外で焼いて食べたいと考えた。
 あの頃は室内の暖房は灯油のストーブであったが、現在は冷暖房器に替わった。灯油缶を運んだり灯油を入れたりなどの夫の力仕事も随分と減り、かつて用いた灯油の一斗缶は不要になっていた。その一斗缶を工夫してトウモロコシ焼きの道具にした。
 
 借りている畑で稔ったトウモロコシを、手作りの一斗缶の焼き器で焼くときの夫と息子の、男ならではの火遊びの工夫も、娘の喜ぶさまも、まさに「ひたすら」そのものであり、家族全員がわいわい参加していた頃のベランダの夕べであった。


  唐黍の驚きやすし秋の風  与謝蕪村 『蝸牛 新季寄せ』
 (とうきびの おどろきやすし あきのかぜ) よさ・ぶそん

 掲句の「唐黍の驚きやすし」の措辞に惹かれて、私が見た限りの唐黍のすがたと夫の説明を思い出してみた。
 唐黍は育ってくると、てっぺんに細い紐状の房を伸ばし垂れている。このススキに似た紐状の房が雄花で、みのるのは雌花穂で、苞につつまれてをり、先端に出ている雌しべに花粉がつくと、茶色に枯れてくる。この枯れてふさふさした髭が、ふとした時間帯に吹く秋風のなかで、人を驚かすように見えるのかもしれない。
  
 夫が畑でいろいろ工夫しては野菜を育てて台所まで運んでくれるのに、私は、畑仕事に参加しようとはしない妻なのである。1、2度は手伝おうとして畑に行ったが、畑仕事は絶えず屈んだり座り込んだり、また立ち上がったりのくり返しである。

 もともと運動嫌いではあったが、4、5年前の年末に転倒してからは、夫も「たまには手伝えよ」とは言わなくなった。右大腿骨頸部骨折で守谷第一病院に1ケ月入院しその後、茨城リハビリテーション病院に1ケ月入院した。手術の後は痛むこともなく、お医者さんも看護婦さんもやさしくて、居心地のよい2ヶ月であった。

 こうしたこともあり、直後にはコロナ禍もはじまったからであろう。楽しいことばかり書いているようであるが、自分の半生を書き留めておきたいという思うようになった。「千夜」はほぼ3年間であり、千夜目あたりには私は77歳の喜寿になる。ほどよい長さの目標で、ブログ「千夜千句」ははじまった。