第九百九十夜 和田耕三郎の「無花果」の句

 ケーキ好きな娘は、守谷市のケーキ屋さんで自分の誕生日のケーキを自ら選んで買ってきた。
 「一個600円もしたのよ!」と言いながら、「無花果(イチジク)」ケーキが3個入った包みを開けて見せてくれた。
 「あらあ・・美味しそうね!」
 久しぶりに、お客様用のウェッジウッドの一式で、お紅茶を丁寧に入れた。
 まだ俳句にのめり込んでいなかった頃、小学校からの友人4人で、英語を忘れないようにと、原書での読書会をしたことがあった。タイトルは、イギリスのジェイン・オースティンの『高慢と偏見 “Pride and Prejudice” 』。好きな小説であったが、英語は難しくて、1と月1度の勉強会だったし、会えばお喋りの方が弾むので、確か、3分の1も読み終えることはできなかった。
 
 このウェッジウッドの紅茶セットは、その時の仲間の一人がイギリスへ行った折に、頼んで揃えてもらったものである。

 今宵は、「無花果」の作品を見てみよう。


  青空に無花果奇声上げて割れ  和田耕三郎 『蝸牛 新季寄せ』
 (あおぞらにいちじく きせいあげてわれ) わだ・こうざぶろう

 無花果は「奇声」を上げたりはしないが、無花果を見ると、はち切れるとパチンと割れたような形になる。ちょうど無花果の実がなる頃、守谷市の外れにある肉屋に通っていた時期があった。裏にある牛舎と豚舎で解体した肉を直売していた。肉は新鮮で美味しかったが、待つ時間の長いこと・・仕事をしている身なので、ある時から行くのを止めた。
 その肉屋の庭には無花果の大木があって、時期になるとよい香りを放ち、無花果がパチンと割れるところも見た。
 
 「奇声上げて割れ」とは、パンパンに膨らんだ無花果が、パチンと割れる瞬間を「奇声」を上げたと捉えたのであろう。このような破裂音を立てるかどうか不明であるが、このように形容したところが痛快である。


  無花果食ふ月に供へしものの中  石田波郷 『現代俳句歳時記』角川春樹編
 (いちじくくう つきにそなえし もののなか) いしだ・はきょう

 石田波郷の奥様のあき子さんは、戦後、肺結核を患っていたとき、臥せっている夫がよく見えるような位置に月のお供物をならべた。その中には、波郷の好物である無花果も供えてあった。
 あき子さんは、夫の波郷が無花果が好物であることを承知の上で、手を伸ばせば届く位置にならべたかもしれない。
 
 案の定、波郷はお供えの中の無花果を食べたのであった。無花果のやわらかな甘さとジューシーさの塩梅が、病人特有の・・熱が少しある波郷にとって、何より嬉しい果物であったに違いない。