第九百九十三夜 緒方輝の「夕焼」の句 

 ブログ「千夜千句」は、日々、昔を思いながらの長い旅に出てしまっているようなものである。今宵、ふっと「老」の作品鑑賞をしたいと思った。
 
そうだった。出版社「蝸牛社」を立ち上げて数年後の40年ほど前に、「秀句三五〇選シリーズ」を出していた。一期12巻、二期目の17巻目は『秀句三五〇選 老』、編著者として石寒太さんが引き受けてくださった。私もつい「寒太さん」と呼んでしまうが、夫の百万本清(荒木清) とは古くからの友人であった。

 「寒雷」の加藤楸邨に師事し楸邨の晩年を看取ったのち、「寒雷」に幾つかの結社が生まれ、石寒太さんは「炎環」の主宰となった。当時まだ50歳前であった。

 今宵は、「老」の作品を見ていくことにしよう。


  夕焼けて大東京に塵と老ゆ  緒方 輝  『炎環』『秀句三五〇選 17 老』
 (ゆうやけて だいとうきょうに ちりときゆ) おがた・てる

 「寒雷」の加藤楸邨に師事し、毎日新聞社で『俳句α』の編集長をしていた頃の石寒太さん主宰の『炎環』に、緒方輝さん、夫の百万本清もあらみきほも会員として「石神井句会」に出席していた。輝さんも同じ練馬区に住んでいたことから石神井公園で落ち合って吟行していた。
 
 掲句は石寒太編著『秀句三五〇選 17 老』の一句に取り上げられ、石寒太による一文が付されている。
 「九州から東京に出てきて、すっかり東京の人になりきってしまったような気がする。大志をいだいて、勇んで出てきたものの、東京は夢ばかりではなく、甘い人生ではなかった。すっかり老いてしまった自分には、若さも失せて「塵」のようにみじめである。」と。
 
 「夕焼けて」の背景に大東京のスケール、その中に、緒方輝さんは、「塵」のごとき自分をみたのだ。【夕焼・秋】


  帰り花むかしの夢の寂かなる  円地文子
 (かえりばな むかしのゆめの しずかなる) えんち・ふみこ

 「寂か」も「寂(じゃく)」も「寂(せき)」も、物音がなく、ひっそりとしたさまのことをいう。
 11月末の初冬の頃、小石川後楽園の入口付近の日向に見かける桜の木に、一輪二輪と枝先にぽつんと花が咲いていることがある。本来咲くべき春に咲くのではない、秋も終わり、暦では冬になった頃に咲く花が、帰り花である。
 
 小石川後楽園は、いつ行っても混雑していることはなく、帰り花と一対一でしずかに眺めることができていた。
 あの時のことを思い返してみると、吟行会の仲間ではあるが、ひと言も交わさずに目礼をしただけのことが多かった。一枚の落葉、一輪の花、水鳥の羽ばたきに集中して、誰もが一句を目指していた私たちは若く、何も考えていなかったかもしれない。
 
 掲句の、「むかしの夢の寂かなる」とは、今、思い出している昔の景・・これを夢というのであろうが・・、そこには動きがあり表情もあるが、どれも無音の中であり、まさに寂そのものの世界である。
 初冬に咲く「帰り花」こそが「むかしの夢の寂かなる」であると、円地文子は詠んだ。


  帰り花いちりんふゆる喜寿のけふ  あらきみほ
 (かえりばな いちりんふゆる きじゅのきょう) らき・みほ

 今宵は、もうすぐ11月10日には喜寿となるあらきみほも「老」の一句を詠んでみた。「千夜千句」の終点を、喜寿となる2022年11月10日と心に決めてスタートしていた。戦うように毎日書き続けなければならない苦しみは、700回、900回前後あたりで襲われた。
 やがて「千夜」への数字が大きくなっていくことが気にならなくなり、今日の季語は何にしようと、それだけを考えて乗り越えたように思う。どの歳時記にも4000以上の季語と作品が収められている。
 あと・・8回である。

  けふ喜寿や咲いてみせやう帰り花
  帰り花いちりんふゆる喜寿のけふ