第九百九十四夜 片山和子の「万花」の句

 今日ご紹介するのは、杉並区の八成小学校以来の友人である。その頃から頭のよい人で、もう一人の平田さんと競っていたことを思い出す。片山さんのお母様が教育に熱心であったことは、勉強部屋が個室ではなく、長い廊下に兄弟姉妹の机が並んで置かれていたことからもわかった。

 中学、高校、大学と別々であったのに、今も俳句を通しての交流がある。俳句を始めたのは私が先であったが、句会を作るに当たって、率先して会員を集めてくれたのは和子さんであった。
 「守谷でやろうよ!」と、和子さん。
 「僕は、東北大の友人に声かけてみる!」と、ご主人の丹波さん。
 
 関東平野どまん中の守谷の空は、「円穹」という句会名にしたほどの360度の円い空である。
 平成17(2005)年9月に、守谷市中央公民館の会議室からスタートし、数年後に守谷図書館の会議室で行われるようになった。また何台かの車に分乗して、茨城県の南部は隈なく吟行して回った。
 その後、2011年3月11日に発生した東日本大震災の余波は、「円穹」俳句会にとって大きかった。東京から来るには神田から「つくばエクスプレス」に乗り換えなくてはならない。「円穹」は多いときには20名の句会となっていたが、無理はできなくなった。
 
 8年目になっていたこともあり、「ここらで合同句集を作ろうよ!」となり、17名が参加することになった。

 今宵は、守谷句会を発案してくれた片山和子(かたやま・かずこ)さんの作品を鑑賞してみよう。


  オッ満開 万花一斉 オッ満開  
 (オッまんかい ばんかいっせい オッまんかい) かたやま・かずこ

 百万本の評がある。
 「満開の花に対する賛辞で、これほど単純直截な作品をしらない。ただ一つ「オッ」だけで、それも二度くり返して、二つの「オッ」を繋ぐのは四文字「万花一斉」という造語である。春爛漫の実感を「オッ満開」とつぶやくリフレインのリズム感には説得力がある。」

 あらきみほは、この句を採ることはできなかった。「万花」は、「いろいろな花」の意であるが、「桜の花」を意味する季語とは言えないのではないと思ったからであった。
 だが、20年近く過ぎたこの間にブログ「千夜千句」を書きはじめた私は、さまざまな結社の多様な詠み方があることを知り、多くの作品を見てきた。
 
 百万本の「春爛漫の実感」という意見に・・今の私は、こういう鑑賞もあるだろうと思うし、何より、勢いある作品の作り方は見事なほどの小気味よさを感じている。


  東風に乗り一寸法師ちょこんと来
 (こちにのり いっすんぼうし ちょこんとく)

 回ってきた作品に・・誰もが「うーん! 一寸法師って何だろう?」と思ったにちがいない。

 選が終わり、作者が名乗り、和子さんの句であった。私たち「円穹俳句会」一同は、句会に投句されたこの作品で誕生を初めて知ったと思う。
 ようやく冬が過ぎ、早春に吹く東風に乗って「一寸法師」がやってきたという作品を見て、誰もが春風に吹かれている心地がし、よきことが起こりそうな心地がしたのだろう。たくさんの票を集め、私も選に入れた。

 合同句集では、私あらきみほが次のように鑑賞していた。
 「三女のご長男が28週目で誕生した。その613グラムという重さを私は想像しかねていたが、「一寸法師」の句が回ってきたとき内心大喝采した。この「一寸法師」へ、命への溢れる愛と誇りを感じたからだ。勇敢さと機知で立派な武者となった一寸法師の比喩は、しかも、春の訪れの「東風」に乗せたことによって、お孫さんへの見事なエールとなった。」


  やるっきゃない出たとこ勝負捩り花
 (やるっきゃない でたとこしょうぶ ねじりばな)  

 合同句集「円穹」の片山和子さんは、ご自身のプロフィールに、次のように書いている。
 
 「 やるっきゃない出たとこ勝負捩り花
 
 百二歳の母が、二週間入院しました。心不全、腎盂腎炎、肺炎・・しかし、奇蹟! 退院できました。その病院にこの捩り花が一面に自生していました。ホッと退院のとき、浮かんだ句です。(寂 2012年8月15日 母永眠)
 そこに、11人目の孫誕生。優先事項を決めながら、体力温存をはかりながら、ベストを尽くしたい。階段は外さないように・・。
 そんな姿を見て娘が「お母さんって今しかないよね・・」
 「昔、アンガージュマンという言葉あったな」と、ふと思い出しました。そんな日々を送ってきているというのが私のプロフィールでしょうか?」
 
 「優先事項を決めながら、体力温存をはかりながら、ベストを尽くしたい。階段は外さないように・・。」という、和子さんが自身のプロフィールに書いた言葉は、誰に対してもそうであった。
 私こそ、長いこれまでの人生の中で、和子さんからどれほど助けていただいてきたかしらと、改めて思い返している。


  初夢や四割る二が割り切れず
 (はつゆめや よんわるにが わりきれず)

 この楽しい作品の鑑賞は、仲間の軍地京子さんが合同句集「円穹」に書いていた。
 「夢はほとんどが何でこうなるの? ということが多い。和子さんの句はとても奇抜で個性的。しかし掲句は瞬時に私の顔がほころび、そうなのよ、わかるわかると手を叩きたくなる句である。四割る二が割り切れないときっぱり言い切って表現したのがじつに上手いと思う。しかも「初夢」である。


  地が割れて心がふれてクリスマス
 (ちがわれて こころがふれて クリスマス)

 この作品の鑑賞は、あらきみほであった。
 「東日本を揺さぶった3・11の後、和子さんと『震災と心のケア』の本造りをご一緒した。そのとき和子さんの道義心の強さに私は改めて気づかされた。大震災を、旧約聖書の説話に準えて「地が割れて」と詠み、未曾有の体験の中で人々の心は絆で繋がったことを、心と心が触れ合うクリスマスの心に重ねた。和子さんらしい句だと思った。