第九百九十五夜 片山丹波の「冬天」の句

 片山丹波さんは、前回の第九百九十四夜で紹介させていただいた片山和子さんのご主人である。
 今宵は、丹波さんの男っぽい作品の中にある繊細さを紹介してみよう。


  石鎚山の冬天衝くやシベリウス
 (いしづちの とうてんつくや シベリウス)

 百万本清の評が、合同句集「円穹」に添えられている。
 
 「石鎚山の―百万本評
 作者は、断崖絶壁の尖る冠雪の石鎚山の上空を飛行機で飛んでいた。――無言の世界。だが身体中にフィンランドの作曲家シベリウスの弦楽器の音が厳かに響いている。「冬天衝く」という写生が秀逸であり、「や」の切れ字の力で大きな世界を現出した。この作品は、2008年の円穹句会年間大賞の「天」を獲得している。作者の俳句開眼の年であったか。」

 石鎚山は、愛媛県と高知県の東西の県境に連なる石鎚山脈の主峰で、標高1982メートル、徳島県の剱岳とともに四国を代表する山である。
 
 「円穹」でご一緒していた頃の作品だけしか存じ上げないが、この作品は素晴らしい。丹波さんが句集を何冊作ろうとも、その中でも一級品として輝いているだろう一句と思っている。


  白鳥来坂東武者が夢の跡
 (はくちょうく ばんどうむしゃが ゆめのあと)

 「円穹」の吟行句会で行った坂東市神田山(かどやま)の延命院には、坂東武者の平将門の胴塚となった榧の大樹がある。延命院の森から少し歩くと、菅生沼から飛来してくる300羽もの白鳥たちに出会える。伸び伸びとした白鳥の動きを知ったのはこの沼であった。           
 平将門の墓は、将門の乱で敗北した後、遺体の首級は江戸へ、東京に首塚があるが、坂東武者として大切な主を埋葬したのは胴体であった。茨城県守谷市から車で30分ほどの場所にある坂東市の延命院の森の榧の根本であった。胴塚である。
 
 「円穹」句会では、次回の吟行地を報せると、丹波さんのように歴史を詳しく調べてくる。上手く俳句に反映できれば嬉しいし、友の作品によって私たちは知らなかったことを一つ知ることになる楽しさがある。延命院では、皆がそれぞれ手を合わせていた。


  青二才白い粉ふく今年竹
 (あおにさい しろいこなふく ことしだけ)

 この作品も、「円穹」で茨城県常総市の旧家坂野家住宅を訪れたときのもの。広大な敷地の、入口近くにある高々と聳える深い竹林へ入ったときだ。歩行者用の道はあるが、仲間の笹川瓔子さんの「キャー!」という叫び声がした! 竹林のふかふかの道にはまってしまったようだ! 誰が手を差し伸べたのか、この句の作者の丹波さんであったのか、だが白い粉を吹いたような青い今年竹に見とれていた瓔子さんは怪我もなく無事であった。
 
 「青二才」は、若くて未熟である若者ことを云うが、掲句では、若い今年竹のことであろうか。


  吹雪く夜は遠く白虎の吠ゆる声
 (ふぶくよは とおくびゃっこの ほゆるこえ)

 添田さん評
 「私の生まれ育った仙台は作者も大学時代を過ごした土地だ。雪が少ないが、遇に一晩中、強風の中、雪が降ることがある。風の音はあらゆるものが吼えまくっている感じがするが、白く雪まみれになった白虎が咆哮していると言ひ現したのは実感がある。吹雪いた翌朝はカラリと晴れ渡るので、「朝の来ない夜はない」の言葉のように、そうしたことも象徴しているようだ。」

 九州生まれで東京育ちの私は、雪の蔵王へ遊びに行ったのは、高校と大学時代にスキーに夢中になっていた7年間だけであった。この7年間は、1年の3分の1はスキー焼け雪焼けの真っ黒な顔の少女であった。
 吹雪く夜をスキー場のホテルの窓から眺めていたことはある。また蔵王の上までロープウェイで行って、吹雪に出合い、下山は先導してくれる2年先輩にぴったりくっついて、ロッジまで辿りついたこともあった。蔵王の樹氷林は人影のようにも見えて不気味・・!
 夕暮れ近くなると、吹きつける雪煙の奥に聞こえる声は風の音なのだが、その恐ろしげな声の正体が見えないからこそ、なおさら恐ろしかった! 
 
 上五を「吹雪く夜は」としたことで、白虎の声の響きが冴えわたる作品となり、大学の4年間を仙台で過ごした丹波さんならではの作品である。