第九百九十六夜 星川和子の「蕗の薹」の句 

 星川和子さんは、平成17年(2005)にスタートした「円穹」俳句会の当初からのメンバーのお一人である。口数の少ない方で、どなたの知り合いであったのか知ったのは大分後のことであった。
 「円穹」では、年に数回ほど茨城県南を車に分乗して吟行した。茨城県の近場では、水海道風土博物館・坂野家住宅、ローズガーデン、福岡堰、菅生沼の白鳥、延命院、牛久沼など。また遠出して水戸偕楽園の梅まつりも観た。つくばエクスプレスで数駅先の千葉県の流山の運河は、何度も吟行した。手賀沼の蓮も、7月、8月、9月の破蓮(やれはす)になるまで数回かけて、咲き始めから枯れるまで見届けた。
 
 今回、以前に戴いていた、植物学者である父渡辺清彦の植物画と農学者である夫星川清親の植物画と文章による、星川和子編著『植物画随想』を久しぶりに手に取った。植物画は実物の色合いを見てほしいという希望から、費用はかかったが、オールカラーの制作となった。

 本書には、植物画には星川和子さんの俳句が添えられている。鑑賞とともに見て頂きたい。


  けもの道先越されたる蕗の薹 『植物画随想』
 (けものみち さきこされたる ふきのとう)

 和子さんの俳句歴は長い。仙台在住の頃は、結社「みちのく」に12年間所属し、関東の市川市に移られてからは俳句会「円穹」と「あん」に所属していた。
 掲句は、市川市にはイノシシなど出そうな深い森や林の「けもの道」はないから仙台での作品であろう。仙台では吟行となると、蕗の薹を探しに「けもの道」へ入り込むことがあった。


  こだわりは葛の花より始まりぬ 『植物画随想』
 (こだわりは くずのはなより はじまりぬ)

 この作品は、「円穹」俳句会に投句されていた。解釈が難しくて順に感想を訊かれるが・・上手く言えた人がいたか・・覚えていない。葛が蔓性であることに気がついたとき、鑑賞もすこしずつ纏まってきた。一巡したとき、当日の司会をしていた人が何とかまとめてくれた。

 俳句に詠もうとしたとき、葛の花が蔓を咲き上る姿に、「こだわり」を感じとった星川さんの繊細な感覚が凄いと思う。


  花の下一服どうぞ楽茶碗  合同句集『円穹』
 (はなのした いっぷくどうぞ らくじゃわん)

 4月の花の頃の「円穹」句会で、広場のある福岡堰で吟行しようとなったとき、誰が言い出したのか「茶会もしましょうよ!」と言い出した。私など学生時代にたった1度だけ参加せざるを得ないことがあって以来のことである。
 星川さんは、全てが小ぶりの野点道具一式と緋毛氈も携えてきてくださった。17人の男性女性の中で、お茶の作法を知っている人は数人。中の1人の男性が、てきぱきと和子さんを手伝ってくれた。
 
 どんな場合でもゆったりしている星川和子さんの動作は、全員を和ませてくれて、私は作法を知らなかったけれど、福岡堰の青空の下の芝生に敷いた緋毛氈の上で点ててくれたお茶を黒楽茶碗で「一服どうぞ」と言われながら、順にいただいたことを思い出している。


  一人居の父の爪切る霜夜かな 『円穹』
 (ひとりいの ちちのつめきる しもよかな)

 笹川瓔子さん評
 星川さんはいつも情感溢るる句を詠まれますが、掲句はその中でも際立っているのではないでしょうか。年老いて離れて暮らしていらっしゃる御父上を思い遣る娘の心情が痛いほど伝わり、私の胸を打ちます。「爪切る」という思いがけない語が、「一人居」「霜夜」と相俟って孤独で寂しい情景を彷彿とさせ、日本映画のワンシーンを思い浮かべます。霜夜に一人爪を切ることに集中している人が見え、静寂の中に爪を切る小さな音が聞こえるようです。
 
 星川和子さんの父渡辺清彦は植物学者であり、夫の星川清親は農学者であったという、言わば和子さんは、学者の家庭で一生を過ごされた方であった。
 仙台に住んでいた頃、母が亡くなり一人になった御高齢の父を静岡から呼んで、亡くなるまで共に暮したという。


  拾ひ来しツクバネの実を投げ上げる回りて飛ぶを孫ら喜ぶ  渡辺清彦
 (ひろいきし ツクバネのみを なげあげる まわりてとぶを まごらよろこぶ) わたなべ・きよひこ

 『植物画随想』で初めて知ったツクバネは、本著が刊行したのち、私は、和子さんにおねだりして仙台の知り合いから取り寄せてもらった。ツクバネは幼い頃に遊んだ羽子板遊びで突いた羽根にそっくりであった。本著にはお父さまの清彦氏が、飛上ってツクバネを採っている写真が載っている。
 
 ずいぶん長く、何年も置物と一緒に並べて楽しんでいたが、数年後、ついに葉はからからにばらばらになってしまった。