第八十八夜 鈴木真砂女の「青野」の句

  深吉野や息づくもののみな青し  『都鳥』

 掲句を考えてみよう。
 
 平成六年に刊行の第六句集『都鳥』を戴いて、まず掲句に惹かれたが、どこかずっと気にかかっていた作品である。今回、改めて『鈴木真砂女全句集』を見直してみると、この句の季語は「青野」で夏だとある。
 前年の平成五年、私たちは吉野の桜が見たくて東京から車を飛ばした。早朝に着いたので混雑になる前の参道を上まで行くことができたが、どこかで道を間違えたらしく、山又山の深吉野に入り込んでしまった。朝靄が立ち込めた山道の運転は怖いほどであった。そのとき目の前を何か横切った。夫は「カモシカだろう」と言い、私は「たしか、雄のシカよ」と、未だに朧気な記憶である。だがこのように、深吉野は見渡す限りの山地である。
 
 鑑賞をしてみよう。
 
 真砂女の見た深吉野は、朝のヴェールに包まれて、エメラルドグリーンに静もった樹々と日矢の世界であったのだろう。深海ともまだ見ぬ黄泉の国の風景のようでもある。「息づくもののみな青し」と真砂女が詠んだのは、見たまま感じたままの青であり、果てしなく広がる青である。この青の広がりを「青野」であると感じ取った真砂女は、この「青野」の中にずんずん入ってゆく自分を感じたのだった。
 そう。この句の世界にどっぷり魅了されながらも、私が長いこと気にかかっていたのは季語のことであった。無季とは言わず、夏の季語「青野」として、季語をこのようにして詠んだ作品は初めてのような気がしている。
 
 鈴木真砂女(すずき・まさじょ)は、明治三十九年(1906)―平成十五年(2003)、千葉県鴨川生まれ。離婚後、生家の旅館吉田屋にもどり、亡き姉の夫と再婚して旅館を継いだが、家を出て、銀座で小料理屋「卯浪」を経営。「春燈」に所属して久保田万太郎、安住敦に師事。
 〈初凪やものゝこほらぬ国にすみ〉の海を愛し、〈羅(うすもの)や人悲します恋をして〉など恋の句を多く読み、〈今生のいまが倖せ衣被〉など「卯浪」での仕事が何より好きであった。句集『紫木蓮』で蛇笏賞受賞。
 
 真砂女の故郷の、海の句を紹介しよう。

  あるときは船より高き卯浪かな  『生簀篭』
  黒南風や波は怒りを肩に見せ  『夕螢』
  春の波くづるゝことを忘れしや  『卯浪』
  初夢の大波に音なかりけり  『都鳥』
  
 丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」という迷信がある。その丙午生まれの真砂女は、二度の結婚と一つの恋を通奏低音として、その俳句は常に故郷である安房上総の外海が原風景である。外房の荒海は真砂女の激しさも悲しさも全て受け止め、波音が愛撫のごとく慰めしづめてくれる。