第八十九夜 小泉洋一の「犬ふぐり」の句

  この風のおさまれば咲く犬ふぐり  『夏座敷』
  
 掲句の鑑賞をしてみよう。
 
 この日は「花鳥来」の二月の吟行句会で、練馬区の光が丘公園での作品。立春を過ぎたばかりで、風の冷たい日であった。犬ふぐりは公園の日だまりの地を覆うほど葉を伸ばしてはいたものの、大海にも星空にも喩えられる犬ふぐりの青い花は、そこにはなかった。だが「この寒い風がおさまれば、きっと暖かくなって花が咲くだろう」と願ったことで、洋一さんの胸に、ブルーの犬ふぐりがあふれるように咲き出した。犬ふぐりの咲いているはずの野を想いつつ、花を踏まないようにと爪先立って歩いたことだろう。
 
 上智大学文学部教授大輪靖宏の著書『芭蕉俳句の試み』の中で、大輪氏は「俳句は響き合いの文学である」と繰り返し述べているが、言葉と言葉を響き合わせるために芭蕉が試みた方法論の一つが「無いものを描く」効果であるという。芸術は、自分が表現したいと感じた対象の本質をいかに捉えるかということであり、それをいかに表現するかということであって、「句における真実を得るためには、事実でなくてもよい」場合もあるという。
 この芭蕉の「無いものを描く」方法論と、未だ花の咲いていない犬ふぐりを詠んだことを合わせて考えてみると、意図はしていなかったかもしれないが、面白いことに作者自身だけでなく読者の心の中まで、犬ふぐりの花の青色で美しく染め上げてくれたことになる。
  
 小泉洋一(こいずみ・よういち)は、「ホトトギス」「花鳥来」同人。「花鳥来」は、山口青邨の没後の平成元年に発足した「F氏の会」を発展させ、平成三年に創刊主宰した深見けん二の結社である。洋一さんは「花鳥来」誌の初代編集長。吟行句会、虚子・青邨の研究会、全員が文章も書けるようにというけん二の師の意向の下に、少人数制の七十名弱の会員に心を砕いてくれた。虚子輪講により『虚子「五百句」入門』を刊行。
 
 第二句集『あらっ』を上梓した時、〈数えへではあら六十や明けの春〉のように還暦間近であった。もう一句を紹介しよう。
 
  いつもこの冬木にそうて日の落つる  『あらっ』
 
 冬至の頃になると、筆者の私は、つくば市の洞峰公園の沼の端にあるラクウショウの大木の冬木の真正面に、沼の反対側から射す夕日を眺めに行っていた。夕日が沈みかけると、大木の幹の下部に射し、やがて夕日が沈むにつれて、赤い日影は幹を上り始める。そして、ついにラクウショウの天辺をぬけて、日没となる。この一部始終が大好きで、犬と母を連れ出していた。
 「日の落つる」とは、冬木の幹を夕日の赤が駆け上ることだと思う。