第九百九十八夜 遠山博文「桐の花」の句  

 遠山さんは、夫にとっては長崎で知り合った信頼する友であり、私にとっても心優しい兄貴でいてくれた方である。
 趣味は連句と俳句。荒木清との付き合いから、守谷市の「円穹」句会にもずっと長崎から投句してくれていたが、有馬朗人主宰の「天為」の長崎支部に所属していた。

 荒木の設立した蝸牛社は、色々な本作りにチャレンジした。その1つが、ユネスコ・アジア文化センター主催の野間国際絵本原画コンクール入選作から、かたつむり文庫として第一期20巻、第二期15巻、合計35冊の絵本の制作であった。1996年(平成8年)からセット販売するために、多くの友人の皆様の協力を得て、翻訳の依頼や制作の日程など、猛烈なスピードで仕上げた日々があった。
 かたつむり文庫のトルコとオーストラリアの翻訳は、現筑波大卒の遠山博文さんが引き受けてくださった。ニュージーランドの翻訳は津田塾英文科卒の片山和子さん。こうした有能な友人の力があってこその、かたつむり文庫全巻であった。
 
 亡くなられる少し前、卒業した筑波大学(前身は東京教育大学)を見ておきたいと、上京した遠山さんと私たち夫婦は、つくば植物園を散策した後、通りの向こう側の筑波大学へ向かった。学部に名が記してあるのか・・遠山さんと荒木は古い名簿を見せてもらっていた・・あったー! と、当り前のはずなのに、2人は嬉しそうに顔を見合わせていた。

 今宵は、遠山博文さんの作品をみてゆこう。


  鼻歌の妻の朝風呂や桐の花  『天為』『円穹』
 (はなうたの つまのあさゆや きりのはな)
 
 合同句集『円穹』に、この作品の遠山さんの自句自解がある。
 「鼻歌の――自句自解
 妻は借金返済のためもう5年働くという。遅く帰宅して、休みの時などよく朝湯に浸かっている。この日、浴室の戸を開けると、じっと陰湿に縮こまっている。相当疲れているのだろう。オイオイ、お前らしくないぞ。鼻歌でも歌えよ。庭の桐の花はきれいに咲いているぞ、という思いでこの句を作った。
 「実景」でなく「願望」の句である。私の方は退職後、職につくことなく十年遊んだ。悪いな、悪いな――そんな気持ちでいっぱいだった。」
 
 遠山さんの奥様は、医者であり、この頃は長崎大医学部勤務ではなく、自宅で開業して遠山医院となり、更に忙しい日々であった。


  つちふるや羅典語訛る島オラショ  『天為』
 (つちふるや らてんごなまる しまオラショ)
 
 オラショとは、隠れキリシタンが伝承したキリシタン時代からの祈り文と教義や掟のことである。口から耳に伝えたので訛伝が多いという。隠れキリシタンは長崎県の外海(そとめ)地区、遠山さんが当時住んでいたのは、野母崎半島の突端の海岸縁であった。
 
 数年前、私は長崎へ一人旅をさせてもらったことがあった。ほとんど荒木の妹と一緒であったが、一日を遠山さんが案内してくれるという。遠山さんのドイツ車アウディで、遠山さんの運転で・・! 恐ろしい目に2度遭った。隠れキリシタンの山奥の小さな小屋に行くことができたことは嬉しかったが、細道の途中で切り返さないと進めない場所があった。切り返そうとすると、ズルズルと後ろへ下がる! 「遠山さん! こんな場所で、中年の男女が事故を起こしたら大変よ!」と言うと、にこっと笑って、「ボクは光栄です!」と、云うではないか! これが1度目。もう1度は野母崎半島からの帰り道、近道だからと言いながら、狭い道に嵌まった。あの時は、誰が助けてくれたのか・・覚えていない! 私も、ケ・セラ・セラ!