「あしたの風」第六夜 萬斎の「ボレロ」を舞う

 私は、少しの間だったが「萬斎の会」に入っていたことがあった。お能のことが知りたかったのは、今から35年前になる。偶然であるが、能楽に詳しい高浜虚子の最晩年の弟子である深見けん二先生の句会に入会したことで、私の俳句人生が始まった。
 そして、高浜虚子の俳句もお能との関わりも徐々に知ることになった。
 
 大阪での萬斎が出演した能舞台を一人で観に行ったついでに、京都へ足を延ばして一人吟行をしたこともあったが、ある日、我が家の玄関先の斜面になっている駐車場で車から降りる際に転んでしまった。二ヶ月の入院となり、右大腿骨頸部骨折の手術とリハビリを経て退院した。
 あれから3年近くになり、杖があれば外歩きはオッケーだが、萬斎の舞台だけでなく劇場に行ってまで追いかける気持ちはなくなっていた。萬斎のお能を最初に観たのは、確か、中尊寺の能楽堂の薪能であったように記憶している。

 昨日、友人からラインに送られてきた動画が、野村萬斎の「ボレロ」を舞う、であった。戴いた萬斎の動画を観ているうちに、追いかけた時期があったほどのファンであった私は、また能楽堂で萬斎の舞台を観たいという気持ちがうずうずしてきている。
 
 「ボレロ」を舞う萬斎を詠んでみた。

  萬斎のボレロの舞や冬銀河  あらきみほ
 (まんさいの ボレロのリズム ふゆぎんが)

 バレーの東京公演でジョルジュ・ドンの「ボレロ」は観ていた。円形のせり上がった舞台のジョルジュ・ドンと円形舞台を囲む40人のダンサーたちがボレロの単調な「タン、タン、タンタカタン」のリズムで踊っていた。

 萬斎の舞台は、円形ではなく四角い能舞台がせり上がっていて、白と赤の装束の萬斎が一人舞っている。
 ボレロの独特のリズムは白足袋の爪先を交互に蹴り上げる足踏の型で表現していた。

  足踏にきざむボレロや風花す  あらきみほ
 (あしぶみに きざむボレロや かざはなす)

 能楽師の萬斎は赤の覗く白い袴姿であった。袴を蹴るような足さばきでボレロのリズムに乗っていた。やはり、一段高い舞台で萬斎が踊り、舞台の下には40人の黒袴姿の能楽師が手を振りながら舞台をとり囲むようにして回りながら踊っていた。
 
 もともとハンサムな萬斎であるが、ボレロの単調なリズムを統(す)べながら踊る萬斎の顔面はさらに引き締まって見えた。