「あしたの風」第七夜 山田閠子の「お繭玉」の句

 深見けん二先生が結社「花鳥来」を立ち上げた翌年の新年の初句会であったと思う。この日は吟行ではなく、埼玉県所沢市の農家の旧家のメンバーのお屋敷が会場となって、みんなで繭玉づくりをした。
 餅米をせいろで蒸し上げ、臼に移し、男性たちは代わる代わる杵を振り上げて餅搗がはじまる。

 餅搗きに参加したのは二度目。一度目は長崎県島原の夫の生家へ帰り、年末からお正月を過ごした時であった。親類が何軒かまとめての餅搗であった。庭では男性たちが餅搗きをし、搗き上がると、熱い餅を「そーれっ!」と掛け声とともに室内に運ぶ。待ち構えた女性たちが、ちぎっては丸め、茣蓙に並べていた。その場にいた私も手伝うつもりであったが、スピードにはついてゆけない・・呆然と眺めていた。
 
 さて「花鳥来」での繭玉の話にもどろう。蒸し上がった餅は熱いうちに、紅粉を混ぜた赤い餅と白い餅を、用意された木の枝に塩梅よく貼り付けてゆく。一本ずつ会員の土産として持ち帰ると知って、会場は一気に華やいだ。当時まだ幼かった二人の子を母に預けて句会に参加していたが、赤と白のお餅の花の小枝を持って帰ると、かわりばんこに一本の繭玉を持ち上げて大喜びであった。

 今宵は、40年前の「花鳥来」の句会で詠んだ作品を紹介してみよう。

 1・ お繭玉一つ一つに顔のあり  山田閠子  『蝸牛 新季寄せ』
  (おまゆだま ひとつひとつに かおのあり)  やまだ・じゅんこ
 
 山田閠子さんは、深見けん二先生が亡くなられた後の結社誌「花鳥来」の後継者である。結社名は「初桜」としてスタートされている。
 掲句は、「花鳥来」の初期の頃の作品である。「ホトトギス」の高浜虚子の客観写生に忠実に従い、主観を入れずに描写している。だが、下五の「顔のあり」と捉えたことで、繭玉の可愛さが出、繭玉の形に表情が出、閠子さん特有の作品になったと言えるのではないだろうか。

 2・ にぎやかにゆれて繭玉飾り了ふ  深見けん二 『余光』
  (にぎやかに ゆれてまゆだま かざりおう)  ふかみ・けんじ

 「花鳥来」のメンバーは60名ほどであるが、句会に出席されるのは大抵40名ほどである。繭玉作りの会場となった旧家の門を入ると、松葉が敷き詰められていた。「敷松葉」はおもてなしの心であったのだ。初めての体験であったので、感動しながら玄関まで歩いたことを思い出した。
 
 これまで「繭玉」の季題でたくさん詠まれた中から、先生が『深見けん二俳句集成』に入れたのは、掲句の他に次の三句である。
  お繭玉めをと飾りに華やげる 『余光』
  繭玉やあの世の君の長寿眉  『蝶に会ふ』
  繭玉のゆれてまづまづ繁盛す 『菫濃く』

 二句目の「繭玉やあの世の君の長寿眉」の長寿眉は、皆で繭玉作りをした屋敷の主人であるメンバーの、年輪を重ねた見事な眉であろう。