大学一年の時に選んだ講義の一つが「黒人文学」であった。この講義は東大の教授で、黒人文学が専門であった。それほど大きな教室ではなかったが聴講生で一杯であった。
アメリカ合衆国の南部では、タバコ栽培や綿花の広大な畑の働き手として、アフリカから大型船に乗せて連れてきたのが黒人たちであり、「船一隻分いくら」で買い取られた黒人たちは、アメリカに着くや白人に買われ、奴隷となったという長い歴史があった。1776年にリンカーンが大統領になりアメリカは独立国となった。法律では奴隷制度は廃止されたが、特に南部では、その後も奴隷として白人に使われていた。南北戦争が終わる1865年まで奴隷制度は続いていた。
ストウ夫人の著書『アンクル・トムの小屋』は、ベストセラーになった本で、私が黒人奴隷を知った最初の本であった。初老のアンクル・トムが最初に奴隷となったのは南部の広大な綿畑の地主のシェルビー家であった。病気がちの奥様の世話をしている間は幸せであったが、奥様が病没すると、仲良しだったシェルビーの息子とも離れることになる。だがアンクル・トムは、ジェルビーの息子の手引で国境の大河を越えてカナダへ逃げ、自由の身となった。
マルチィン・ルター・キング牧師の時代には、勿論、奴隷制度はなくなっていた。だが、キング牧師が25万人とも言われる大衆に向かって演説したのは、ローザ・パークスの「バス・ボイコット事件」という、黒人差別もきっかけの一つとなったからである。
白人と黒人が一緒に乗れるバスに、黒人女性のローザ・パークスが乗ってきた。黒人専用の後部座席が埋まっているのを見たローザは空席の白人専用座席に座った。運転手は「黒人専用座席に行きなさい」と言うが、仕事で疲れていたローザは動かなかった。運転手は警察を呼び、ローザは逮捕された。この事件後、黒人たちはバスに乗ることはせず歩いた。バスの利用客は黒人が多かったから、バス会社はたちまち大赤字となった。
さて「綿の花」は、アメリカ南部の巨大な綿畑が浮かんでくるが、白人の奴隷として黒人たちが綿摘みをしていた大地である。
次の「綿の花」の句は、日本で詠まれた作品なのか海外での作品なのか不明だが、鑑賞をしてみよう。
■「綿の花」の句
1・土灼くる日の続くなり綿の花 原田青児
(つちやくる ひのつづくなり わたのはな)
下田にあるローズメイ伊豆高原薔薇園の園主である原田青児さんのことは、ブログ「千夜千句」第三百四十五夜で「薔薇」の句を3点紹介させていただいことがあった。その折にご自身が制作した見事な薔薇の絵葉書のセットを戴いていた。カードは薔薇好きの友人とのやり取りに大いに重宝した。
青児さんは、薔薇園には綿の花も植えていらしたのだ。高原に降り注ぐ陽射しの中で綿の花がふんわり咲いている光景がまぶしく浮かんでくる。
2・綿の花音といふものなき所 細見綾子
(わたのはな おとというもの なきところ) ほそみ・あやこ
私が綿の花を見たのは、茨城県つくば市にある筑波実験植物園の入口付近の一角であった。この一角には綿の花のような珍しい植物が植えられている。
綿の花の咲き初めはハイビスカスの花に似ているが、花が枯れると、熟した果実がはじけた種子を包む役割の「白い綿毛」のような花をつける。これが花のように見えることから「綿の花(コットン・フラワー)」と呼ばれるようになったという。
細見綾子さんの作品の、「音といふものなき所」とはどういうことだろうと思っていた。「綿」は、もしかしたら音を吸収していまう力があるのでは・・と考えたとき、そうかもしれない、と納得した。
3・雲よりも綿はしづかに咲きにけり 福島小蕾
(くもよりも わたはしずかに さきにけり) ふくしま・こつぼみ さらい?
福島小蕾さんは、広大な綿畑に立っている。綿畑の空もまた広大であった。私たちが「あっ・・綿の花が咲いている!」と思うのは、じつは咲き初めの綿の花のことではなくて、枯れはじめた頃の・・ふんわりした綿の塊のことを指しているのだ。
広々とした天地に綿の花が枯れはじめていて、雲と綿の花は、形が似ている。「しづかに(しずかに)咲きにけり」とは、綿の花の「綿」は動きのないひっそりしている咲き方のことだから、もしかしたら、作者の福島小蕾さんも、綿の花の枯れた状態の・・白い綿の塊を見て詠んだのではなかろうか。