第十三夜 あらきみほの「もう春よ」の句

 今宵は、あらきみほの作品二句を自句自解させていただくことにしよう。

■1
  もう春よ目眩はきつと春のせい
 (もうはるよ めまいはきっと はるのせい)
 
 この句は、友人からの次のような返事のメールをいただきながら、ふっと浮かんできた十七文字である。
 「目のかすみは治らず不便です。白内障が進行したのだと思います。眼科にいかなくてはならないのでしょうが大変なのでしばらく我慢するつもりです。」
 「この間の俳句、“もう春よ目眩はきつと春のせい”、いいですね。めまいと春は連想しやすいといえばそうなのでしょうが、上の句の春と下の句の春が”目眩”の高揚感を感じさせるような気がします。春はそんな季節なのですよね。」
 このメール・・すごく嬉しかった!

■2
  俳諧に生きて生かされ喜寿の春
 (はいかいに いきていかされ きじゅのはる)

 高浜虚子の最晩年の弟子であった深見けん二先生に師事して「花鳥来」会員になり、けん二先生がお亡くなりになるまで三十三年間を弟子として学ばせていただいた。著書に句集『ガレの壺』、共著『虚子「五百句」入門』、『小学生の俳句歳時記』、『図説・俳句』など。
 四年前の晩秋、私は転倒して治療とリハビリで二ヶ月間の入院生活をした。ブログ『千夜千句』を始めたのは退院後の吟行に飛び回ることのできない日々であった。『千夜千句』は三年近くかかった。その後に始めたのが『あしたの風』である。ブログでは、主に正岡子規以降の俳人たちや名句鑑賞をパソコンにアップしてきた。

 句集『ガレの壺』では次のように、深見けん二先生が序文を書いてくださった。
 「みほさんは、季題と写生ということを作句の上では、常に心にとめつつ、しかも長年身につけてきた独自の感性によるチャレンジを続けて、ここに第一句集が完成した。選をとおして、時に歓喜し、時に苦悩して親愛を深めた作者のスタートに当たり、心からの声援を送り、序文とさせていただく。 深見けん二」
 
 著書『図説・俳句』でも、深見けん二先生は、「俳句の流れを俯瞰した好著」としてという一文を、次のように寄せてくださった。
 「私は、「花鳥来」で、また他の機会にもみほさんに作家論を書くことを積極的に勧めてきました。そしてそのまとめたものは、私の納得するものでした。
 みほさんは、虚子を学んでも虚子の周りの俳人たちに興味がゆきます。さらに虚子と違う俳句観を持つ作家にも興味を抱きます。(略)
 また、何をするにしても、基礎を頭から体の中に叩きこまずには前進できないという不器用な性格は、本書の編集にふさわしく、苦しみながらもきっと楽しんで仕上げたことでしょう。」と。
 
 深見けん二先生がお書きくださったように、私は俳句を自ら詠むだけでなく、これまでの俳人の作品を調べることが好きなのかもしれない。またこつこつと、ブログ『あしたの風』のなかで綴っていくことにしよう。

 このようにして三十三年間を俳諧に生きてきた私は、いつの間にか生かされている自分を感じて、昨年の十一月十日、私は喜寿を迎えた。
 「お元気ですか?」の代わりに、これからも挨拶の一句を交わしたいと思っている。