第十四夜 景山荀吉の「バレンタインの日」

 今日はバレンタインの日。第二次世界大戦が終わった昭和20年に生まれた私が、バレンタインの日という素敵な日があることを知ったのは、都心の高田馬場の西戸山第二中学校の帰り道にあるケーキ屋さんのショーウィンドウに飾られた夢のようなバレンタインケーキを見たときが初めてであった。
 学校帰りに、二切れ買って母と食べたことを覚えている。青山学院の高等部と大学は渋谷にあり、少し歩くとさらにお洒落な街の原宿や四谷や六本木があった。
 大学生になると、ある日など全講義をさぼって、カフェで女友達と喋り通しだったこともある。バレンタインの日など、お洒落なケーキが置いてあることも楽しみであった。

■今宵は「バレンタインの日」の作品を紹介しよう。

 1・老夫婦映画へバレンタインの日  景山筍吉 『新歳時記』平井照敏編
  (ろうふうふ えいがへ バレンタインのひ) かげやま・じゅんきち

 景山筍吉のプロフィールは次の通り。明治32年生まれ。逓信省に入り、冨安風生らにさそわれ東大俳句会に入会、高浜虚子に学ぶ。「ホトトギス」「若葉」同人。
 敬虔なカトリック信者であることから、「バレンタインの日」は、一般に考えるバレンタインのチョコやケーキのことではなく特別な意味を持つ日である。
 
 老夫婦になった二人はいつも一緒。バレンタインのこの日も一緒に映画を観に行った。どの映画だったのろうか、戦前の外国映画には名作が多かった。現代の老夫婦である私たちが、午後のBSテレビで観ている名画のどれかであろう。

 2・バレンタインの日なり山妻ピアノ弾く  景山荀吉 『秀句三五〇19 祭』蝸牛社
  (バレンタインのひなり さんさい ピアノひく) かげやま・じゅんきち

 妻を「山妻(さんさい)」と呼ぶとは、戦後生まれの筆者の私なら「まあ失礼ね」と言うけれど。ピアノを弾く妻は、もしかしたら、傍からは自慢気に聞こえるかもしれない。
 
 だが山妻とは、侮辱の言葉ではなく、自分の妻のことをへりくだって言う場合である。

 3・秘めしままバレンタインの過ぎにけり  加藤あけみ 『蝸牛 新季寄せ』
  (ひめしまま バレンタインの すぎにけり)  かとう・あけみ

 上五の「秘めしまま」は、好きになったと気づいたときから、相手に告げることもなく、バレンタインの日もきっかけもないままに、互いの仕事の忙しさに紛れてしまった恋だったのかもしれない。
 初恋は、こうしたすれ違いの多いままに終わってしまうことが多いのだろう。

 4・バレンタインの日か中年は傷だらけ  稲垣きくの 『新歳時記』平井照敏編 
  (バレンタインのひか ちゅうねんは きずだらけ) いながき・きくの

 俳人、茶道教授、元女優。稲垣きくのは、ペンネーム。詳しくは知る由もないが、恋多き俳人であったという噂を雑誌で読んだことがある。
 
 「バレンタインの日か」の措辞は、どこか投げやりで言い放ったように感じられる。バレンタインなど中年になった恋多き女からみれば、とっくに過ぎ去った幼い恋の遊びかもしれないのだから。

■みほの句

  娘と犬とをんなどうしのバレンタイン  あらきみほ
 (こといぬと おんなどうしの バレンタイン)

 わが家のみんなに愛されている雌犬のノエルである。響きがよくてつけた名だが、人間では男の子の名であるという。わが家では怒ったノエルを見たことがない。犬種はラブラドール・リトリバー。通称クロラブ。東京の練馬区に住んでいたころ、娘が、犬を飼いたいと言い出した。ネットで探した大型店で出合うや一目惚れした。
 この犬が、一頭目のクロラブのオペラであった。
 一頭目のオペラは13歳の命を全うした。
 二頭目は、住みはじめていた茨城県でラブラドール・リトリバーのブリーダーを訪ねて、直接購入した。現在のノエルである。

 こうして、ノエルは誕生祝いもクリスマスもバレンタインのお菓子(勿論、チョコレートではない!)も、ちゃんと貰っている。