第十六夜 川端茅舎の朴散華(ほうさんげ)の句

 倉田紘文編著『秀句三五〇選6 死』蝸牛社刊より、【Ⅱ南無】の分類から川端茅舎の作品を見てゆこう。

■今宵は、深見けん二先生の主宰誌「花鳥来」に発表したあらきみほの鑑賞文「朴散華」を、ここに再録させていただく。

 1・朴散華即ちしれぬ行方かな  川端茅舎
  (ほうさんげ すなわちしれぬ ゆくえかな) かわばた・ぼうしゃ
 
 昭和15年1月以降は咳がひどく、喀血、呼吸困難などに苦しんではいたが、作句を怠ることはなかった。
 次のように、茅舎は病苦の自分を飄々と見えるほどに客観写生した。

  寒林を咳へうへうとかけめぐる    
  咳き込めば我火の玉のごとくなり 
  昇天の竜の如くに咳く時に 
  咳暑し茅舎小便又漏らす  
  まだ微熱つくつく法師もう黙れ 
 
 咳それ自体を生き物のように勝手に飛翔させている。煩悩即涅槃、苦悩そのものが茅舎が生きているという証なのだから、作句し続けられたのだ。一旦咳き込むと激しい咳は身体全体を揺すり、時には竜のようにのけ反り悶える。体温は身体が燃えるかのように熱く、寝間着もシーツも蒲団まで汗と熱気で濡れる。あまりの咳のために尿道が緩み自然に熱い尿が零れるという。

 次は、昭和16年の最晩年の作品である。
 
  我が魂のごとく朴咲き病よし
  朴の花白き心印青天に  
  朴散華即ちしれぬ行方かな 
  石枕してわれ蝉か泣き時雨 

 昭和6年に脊椎カリエスのため入院し、退院してからの茅舎の生活は、兄川端龍子の庇護のもとで殆ど病臥の日々であった。茅舎は、ベッドから窓越しに見える位置に大好きな朴の木を植えてもらっていた。
 3句目、「朴散華」は茅舎の造語である。散華とは仏を供養するために花をまき散らすことであり、本来は蓮の花をいう。
 この年、朴の木は8年目にして初めて白い花を付けたのだ。朴の木は高木だから、朴の花はちょうど見上げる空の位置に咲いていたことだろう。
 朴の花の白は、清らかな乳白色の、人の魂に触れるような優しい白。朴の木の、咲いては閉じる花の命は3日ほどで、落花はせず花の形のまま朴葉の上に朽ちて錆びるのだという。
 花の一部始終を見ていた茅舎に、ある日、ベッドの視界から花が消えていた。命を終えてしまったのだろうか。「即ちしれぬ行方」の朴の花は茅舎の姿かもしれない。

 『虚子俳話』の「朴散華」の項には次のように書かれている。

 「茅舎は自分の死を見た。
 茅舎の桐里の家の軒端に朴の木があつた。茅舎は朴の木の花の咲いては散るのを見てゐた。
 7月17日に没しているのである。
 仏書に親しんでゐた茅舎は「朴散華」といふ言葉を使つた。
 散った朴の木の花はどこへ行くであろう。それは遂に分らない。
 瞑目する自分はどこへ行くであろう。それは遂に分らない。
 茅舎は自分の死のことを言わず、朴散華のことを言つた。
 茅舎は自分の死を客観し、草木を諷詠した。(略)」

 川端茅舎は、闘病10年、昭和16年7月17日に自宅にて永眠。享年満44歳。「青露院茅舎居士」の戒名は兄龍子が付けた。
 虚子は、愛弟子の川端茅舎の死に際して、「示寂すといふ言葉あり朴散華」という弔句を詠んだ。「示寂」とは高僧や菩薩の入寂に用いる言葉である。