第十九夜 高浜虚子の「彼一語我一語」の句

 今日は三月一日。数字の「一」を詠み込んでいる作品を集めてみたところ、考えていた以上に多くの名句に出合えた。名句と言うわけではないが、たとえば私の句集『ガレの壺』を開けば、第一句目は「一日をまつ白にして雪が降る」と、「一」の数字が入っていたのであった。
 
 かつて私どもが出版社「蝸牛社」を経営していた頃、『秀句三五〇選』をシリーズで発行していた。その中の、田中裕明編『秀句三五〇選18 数』から、今宵は、数字を詠み込んだ作品を紹介させていただくことにしよう。

■名句には「一」の数字を詠み込んだ作品が圧倒的に多かった。

 1・彼一語我一語秋深みかも  高浜虚子 『六百五十句』昭和25年
  (かれいちご われいちご あきふかみかも) たかはま・きょし
 
 口数の少ない二人の姿がよく伝わってくる作品である。虚子と誰かであるかもしれないし、吟行句会で見かける景かもしれない。知り合いとすれ違えば一言の挨拶は交すであろうが、どちらも心は作品づくりに集中しているのである。
 「やあ! もう晩秋になりましたねえ!」
 「寒さを感じるほどですね!」
 となろうか。

 2・こほろぎのこの一徹の貌を見よ  山口青邨
  (こおろぎの このいってつの かおをみよ) やまぐち・せいそん
 
 蟋蟀・・コオロギの貌を間近でじっくり見たことはないが、青邨は、研究論文なのか俳句なのか夜遅くまで書斎で仕事をしていた。当時は普通の家に冷暖房はなかったので、秋の半ばまで窓を開け放していた。電球の光に虫たちは窓から飛び込んでくる。
 一匹のコオロギが青邨の側にきて積んである本の上にやってきた。エンマコオロギを写真で調べてみると、なんとも立派な風貌をしているではないか。歌舞伎役者の隈取りのような貌で、命がけの見得を切っているようでもある。一徹とは、思い込んだらあくまで遠そうとする我の強いことである。
 「まあまあ、このコオロギの貌をよく見てご覧よ。この一徹の貌にはかなうまい。」

 3・暗黒や関東平野に火事一つ  金子兜太
  (あんこくや かんとうへいやに かじひとつ) かねこ・とうた
 
 非常に有名な句。関東平野という非常に広いところを、作者は頭の中に想像力によって描き出し展開している。暗闇の中に沈む巨大な平野の中に、一つの炎を点じて俳句という詩にしたのだ。
 
 金子兜太は、高校学生俳句連盟「成層圏」に参加し、大学生時代から加藤楸邨の「寒雷」に投句を始める。
 前衛俳句を代表する俳人といわれる金子兜太は、「前衛という言葉は誤解を呼びやすいが、素朴に、既成の枠にとらわれず何よりも自分の実感に忠実、しかも積極的に実現している人たち」であると前衛俳句を定義する。また、「まずもって日本の言葉に謙譲であるべきである」といい、季語の大切さを言っている。
 もう一つ、「創る自分」を明確に自覚した作句法「俳句造形論」を打ち立てた。代表作に次の作品がある。
  銀行員等朝から蛍光す烏賊のごとく
 (ぎんこういんら あさからけいこうす いかのごとく)
 
 字余りの作だが、必要不可欠の文字だという。この句は、金子兜太の社会性俳句で、サラリーマン世界という群への諧謔でもある。