第二十夜 津田清子の「二人称」の句

 「二」から「百」までの数字を詠み込んだ作品を紹介させていただこう。

■「二」の数字

  降誕祭讃へて神を二人称  津田清子
 (こうたんさい たたえてかみを ににんしょう) つだ・きよこ

 津田清子は奈良県生まれ。橋本多佳子の七曜句会に出席し、「七曜」同人となるとともに、多佳子の師である山口誓子にも師事し、1955年「天狼」同人となる。
 
 降誕祭はキリスト教のイエス・キリストの生誕を祝う日で、クリスマスのこと。「イエスさま、イエスさま、わたくしたちを あなたのよい子に してください」と、讃美歌にもあるように神を「あなた」二人称で呼びかけている。

■「三」の数字

  緑陰に三人の老婆わらへりき  西東三鬼
 (りょくいんに さんにんのろうば わらえりき) さいとう・さんき

 私あらきみほは現在77歳なので老婆かもしれないが、西東三鬼の頃から50年以上は経っている現代では、80歳を過ぎても若々しく、老婆と呼んだら「無礼者」と言われそう。でも三人寄れば確かに立ち話に花が咲く。

■「四」の数字

  骨肉の軋みてラガー四つに組む  三村純也
 (こつにくの きしみてラガー よつにくむ) みむら・じゅんや

 夫と娘はテレビのスポーツ中継のサッカーやラグビーの試合をこのときばかりは仲良く観ている。激しさが好きなようである。「骨肉の軋みて」はラグビーのスクラムのからだが音を立ててぶつかり合う様子をうまく捉えている。

■「五」の数字

  花辛夷五重の塔へ向き開く  高橋悦男
 (はなこぶし ごじゅうのとうへ むきひらく) たかはし・えつお

 花辛夷の咲き方というのは花弁をすべて上向きに開く花である。近くに高く聳える五重塔があれば、当然ながら花辛夷は、その五重塔に向いて花を開いたということになろうか。

■「十」の数字

 リラほつほつソフィに十日ほど逢はぬ  小池文子
(リラほつほつ ソフィにとおか ほどあわぬ) こいけ・ふみこ

 なにやらドラマを感じさせる作品である。ソフィとは誰なのか友人なのか近所に住む少女なのであろうか、このソフィにもう十日ほども顔を見ていないのでちょっと淋しいなあ・・。十日前には全く咲いてなかったリラの花がほつほつ綻びはじめているのに・・。

 小池文子は、旧名は鬼頭文子。大正9年(1920)~平成13年(2001)80歳。東京都生れ。昭和17年から石田波郷に師事。「鶴」同人。後、森澄雄の「杉」同人。夫を追っての渡仏、離婚、ペロニー氏と再婚、フミコ・ペロニー夫人となる。パリ大学の日本語講師などを歴任。パリ俳句会」を主宰。鬼頭文子時代に、『つばな野」50句により第1回角川俳句賞受賞している。

 山口青邨が選鉱学研究のため留学したドイツでは「舞姫はリラの花よりも濃くにほふ」の作品ががある。
 「ベルリンの五月六月はよい、北国の遅い春が来たかと思うとまたたくまに過ぎて新緑の初夏が来る。リンデンやカスタニエンの若葉、そしてその花、リラも咲く、人は軽衣をまとい、腕もあらわに街に出る。(略)」『自薦自解 山口青邨句集』より。

■「百」の数字
  ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに  森 澄雄
 (ぼうたんの ひゃくのゆるるは ゆのように) もり・すみお

 もう30年近く前のことになるが、茨城県のつくば牡丹園に数回訪れている。あまりに広すぎてうまく焦点がまとまらずに俳句が詠めなかったことを思い出した。私の所属していた深見けん二先生の「花鳥来」の中に「青林檎」というグループがあって、必死に俳句の先輩の皆についていこうとした時代・・であった。つくば牡丹園に入るや大輪の牡丹の巨大なさざなみの中に埋もれそうであった。
 
 森澄雄のこの作品に出合った時、あの日の、つくば牡丹園の景が眼前にぱあっと広がった。「百のゆるるは」とは、おそらく広大な牡丹の群れのなかに立っていて胸元に近い背丈の牡丹を眺めていることは、森澄雄には、ゆらゆら揺れている風呂の湯に浸かっているようにも思えたのであろう。

■みほ俳句
  佐保姫といざ風の野に出でてみむ
 (さおひめと いざかぜののに いでてみん)

 飼犬ノエルは家族が分担して世話をしている。早朝と夜の就寝前の散歩は私の担当。昼は夫が畑に連れていって、畑仕事の間は近くの木に繋がれて気ままな日向ぼっこをしている。朝食後と夕食後は娘の運動を兼ねた少し長い散歩だ。昼間のノエルは、玄関前の階段で寝そべっている。ラブラドール・リトリバーは大人しいが黒の中型犬なので番犬にはなっているようだ。
 
 どのような天候であろうと散歩の予定が狂うことはないが、ことに春は犬と一緒のひとときが愉しい。