第二十一夜 千代田葛彦の「たくはえし影」の句

 今日、ポストに届いていたのは、俳人協会から出版された、自註現代俳句シリーズ・13期15『稲田眸子集』であった。懐かしいお名前であったので早速読みはじめた。稲田眸子さんは、出版社蝸牛社を経営していた時代のシリーズ『秀句三五〇選31 影』の編者として登場してくださっていた。
 現在は埼玉県三郷市に在住し、高野素十の「芹」と倉田紘文の「蕗」の、二つの師系を継ぐことを決意して、立ち上げた結社「少年」の主宰者である。

 今宵は、『秀句三五〇選31 影』から「影」の作品を紹介してみることにしよう。


 1・緑蔭にたくはえし影つれていづ  千代田葛彦
 (りょくいんに たくわえしかげ つれていず) ちよだ・くずひこ
 
 中七の「たくはえし影」の表現が不思議な感じがしていた。作者は、緑蔭にしばらく憩ったあと、再び緑蔭を出ていったが、その時、影を一緒に「つれて」て緑蔭から出て来たという。その影は緑蔭に入っている間に蓄えてあった影であるというのだ。

 2・影を売るごと走馬灯売る男  有馬朗人
 (かげをうるごと そうまとううるおとこ) ありま・あきと
 
 「走馬灯」は、江戸時代初期に中国から伝わった夏の玩具で「回り灯籠(まわりどうろう)のこと。中心にローソクがあり、その周りを二枚の紙で筒状に囲んでいる。風車(かざぐるま)で回転し、内側の紙を様々な形に切り抜き、筒が回った時に外側の紙に影絵が次々と映し出される仕組みである。
 祭の夜店などでは走馬灯を売っていた。
 
 『影をなくした男』または『影を売った男』というタイトルの、フランス出身のドイツの詩人で植物学者のシャミッソーの本があるが、学生時代に興味深く読んだことを思い出す。
 走馬灯を売る男も、影を扱い、影を売ることを生業としている男であるのかもしれない。

 3・身辺にものの影ある晩夏かな  倉田紘文
 (しんぺんに もののかげある ばんかかな) くらた・こうぶん
 
 2023年の立秋は8月8日、晩夏は8月8日から8月22日までという幅がある。たしかに、早朝や夕方などに吹く風に涼しさを感じてほっとすることがある。暑さが苦手で秋生まれの私は、涼しさに敏感である。
 「日本海の逝く夏の波のうねりが、早や暗さを帯びていた。そして、私の身辺に在る何や彼も薄うすと晩夏の影をまとっていた。」とはこの句に寄せた、わが師・倉田紘文の自解の中の一節。
 この作品のように「晩夏」の頃には、あらゆるものに「影」を感じるのだと思う。

 4・麦踏みの影のび来ては崖に落ち  村松紅花
 (むぎふみの かげのびきては がけにおち) むらまつ・こうか
 
 随分と前にこの作品に出合い、下五の「崖に落ち」にハラハラしたことを思い出す。やがて崖から落ちたのは麦踏みの男の「影」であったことに気づいた。中七の「影のび来ては」は、崖の近くの麦畑の耕人が芽が伸びるや、しっかり根付くようにと麦踏みをしている姿を捉えている。

 5・帚木に影といふものありにけり  高浜虚子
 (ははきぎに かげというもの ありにけり) たかはま・きょし
 
 遠くから見れば箒を立てたように見えるが、近寄ると見えなくなるという朦朧たる存在が影を持つ、その物自体よりも影の方がいっそう実在的であるという不思議さがあり、その驚きがこの句の生命であるという。
 じつは私は、帚木がどのような木であるのか全く知らないままに、虚子の俳句を読み、『高浜虚子五句集』の中に見つけた作品の一つである。この作品の句の内容と形のシンプルさに先ず惹かれた。「帚木」がどのような植物かを知ったのはずっと後になってからであった。
 俳句に惹かれるのは、いくつか要素があるが、一番は調べの良さではないだろうか。

 「帚木」は、ホウキギ – アカザ科の植物で、茎は干して箒にし実はとんぶりと呼んで食用とする。別名ホウキグサ、コキアと呼ぶ。

 6・ゆるやかに影を岐ちて鶴翔てり  藺草慶子
 (ゆるやかに かげをわかちて つるたてり) いぐさ・けいこ

 北海道で、鶴の翔び立つ瞬間を見たことがあった。豊かな上半身がのびあがり、細く長い脚が地面をはなれてゆくときの意外なほどの時の長さを感じていたことを、今思い出している。それが「ゆるやかに影を岐ちて」という動きの描写となった。まさに鶴の影らしく、鶴も影と別れがたく影も鶴と別れがたい・・その優美な瞬間をとらえた見事な作品だ。

 「影」の作品を鑑賞して感じたことは、影には幾通りものバリエーションがあったということである。