第二十二夜 稲田眸子の「まくなぎ」の句

 第二十一夜では編者として登場してくださった稲田眸子さん。今宵は、自註現代俳句シリーズ・13期15の著書『稲田眸子集』より、俳人稲田眸子さんの作品を紹介させていただくことにする。


 1・まくなぎの無数の影を薙ぎ払ふ  
 (まくなぎの むすうのかげを なぎはらう) いなだ・ぼうし
 
 稲田眸子さんの勤め先が皇居の森から歩いて四、五分のところにあったことから、皇居外苑をジョギングしたり散策していたという。まくなぎの襲撃は、こんもりした外苑の木々の中であろう。
 
 まくなぎには、私も深見けん二先生の「花鳥来」吟行句会で出合ったことがある。俳誌を引っ張りだして確認すると、小石川後楽園の奥の方にある小高い台地で、あっという間にまくなぎの群れにとりまかれてしまったのだ。両手でふりはらってもふりはらっても、すぐにまくなぎの群れに取り囲まれてしまい・・目にも鼻にも口にまでも入り込もうとする。「薙ぐ」とは、刃物などで打ち払うことであるが、実際には、両手やハンケチなどであった。激しく振りはらったのだ。

 2・初風呂や花束のごと吾子を抱き  
 (はつぶろや はなたばのごと あこをだき)

 子育てをした方はどなたも体験しているが、初風呂だけでなく生まれてしばらくの赤ん坊の沐浴は、危なくてとても一人ではできない。二人がかりである。まずお母さんが入り、そこへ新米のお父さんが赤ん坊をだいて湯船のお母さんに渡すのであるが、美しい花束を捧げるかのように差しだしたのであろう。
 
 わが家も一人目は、産後はしばらく両親の家で手助けしてもらっていた。二人目の時は、年子であったので母に手伝にきてもらっていた。赤子の沐浴は一日一日の毎日の大仕事であった。

 3・朧夜の舞台を支ふ柱かな
 (おぼろよの ぶたいをささう はしらかな)

 能舞台で踊っているのは、宝生流宗家17代宝生九郎門下の能楽師シテ方の金井章である。俳人でもあり綺羅先生と呼ばれている。綺羅先生こと金井章さんは、能舞台の正面の二本の柱が舞台を支えているのだと、稲田眸子さんにこっそり舞台の秘密を語ってくれたという。
 私も折にふれて能楽堂へ行く。高浜虚子の「咲き満ちてこぼるる花もなかりけり」の句は、満開になった桜の木であり、満開の桜は、能舞台で身じろぎもせずに佇っているシテの姿ではないかと思っている。

 4・恋猫に大きな月ののぼりけり
 (こいねこに おおきなつきの のぼりけり)

 犬派としては「恋猫」たちのニャーゴニャーゴニャーゴの追い詰めるような鳴声は苦手・・どうぞ遠くの空地で鳴いてくださいなと追い払いたい! 恋猫にとっては明るい満月の下は何よりのデートスポットだ。いい塩梅に大きな月がのぼってきましたよ!
 今宵、綱に牽かれてゆく犬は夜空を見上げることはないが、私は、綱を牽いている犬に綱を牽いてもらう形となって、関東平野ど真ん中の茨城県守谷市の頭上にある見事な満月を見上げていた。
 またも、恋猫でなく犬の話になってしまった。

 5・わが胸の鬼心仏心毛虫焼く
 (わがむねの きしんぶっしん けむしやく)
 
 鬼神仏心の両面はきっと誰の心にもあると思っている。何かを始めようとする時も止めようとする時にも、必ず心は二方向から動いている。梅の木に群がる毛虫を殺虫剤を撒いたり焼き殺したりしたことはある。毛虫が大嫌いというだけではない。梅の木を枯らすことなく花を咲かせ梅の実が生ってほしいからである。
 人間に都合のよい鬼心仏心かもしれないが、これが「鬼心仏心」なのであろう。
 

■みほ俳句
  佐保姫といざ春の野へ出でてみむ
  鳩鷹と化しわれも花鳥諷詠派
  鶯やころがり出でて枝うつり