第二十五夜 あらきみほの「春風」の句

 春風をテーマにした俳句から、短い文章を書いてみよう。
 大谷翔平の話題が、77歳のおばさんたちの間にかなりの熱量で飛び交っている。メールにはサイズ一杯の写真も入ってきたが、じつに恰好いい!

 私はこのところ頭痛に悩まされている。風邪の症状はないのだが後頭部が痛い。


 1・春風のごとし頓着と無頓着  あらきみほ
 (はるかぜのごとし とんじゃくと むとんじゃく)

 俳人ではないが、文学的に信頼している中学時代からの友人に「この句どうかしら?」とメールした。すると次のような言葉が返ってきた。
 「面白い句ですね。頓着と無頓着という字面・・こういう言い方をしていいのかわかりませんが・・が効果を出しているように思います。」と。
 
 春風にもいろいろな吹き方がある。大げさに言えば、春風は人生に似ているかもしれないと考えると、拘る気持ちの頓着と、物事に拘ることのない無頓着とが代わる代わるのように現れることがあるのだろうか。「頓」とは「突然であること」「にわか」の意味であるという。

 2・夫婦喧嘩さても強東風のやうなもの  あらきみほ
 (ふうふげんか さてもつよごちの ようなもの)

 たとえば私たちは55年ほど夫婦をしている。いろいろなことがあった。だが、子は鎹(かすがい)であると思ったことも、そうしたことが1度や2度ではなかったことも確かにあった。「鎹」とは、2つの木材をつなぐコの字型に曲がった釘のことである。
 春風ならぬ強東風のように激しい喧嘩であったこともあるが、夫婦喧嘩を長引かせることは一つもいいことなどないと、老年になるにつれて十分に承知するようになった。

 3・春風に乗りたくて買ふトウシューズ  米沢恵子
 (はるかぜに のりたくてかう トウシューズ) よねざわ・けいこ)
 
 杉並区の下井草の家に越してきたのは、小学校に入学する少し前の2月頃であった。家の向かい側は井草幼稚園であったが、僅かの期間ということで幼稚園に入れてもらうことは叶わなかった。バレー教室もやっていたし、本当は友だちが欲しかったのだが・・。最初の小学校は桃井第5小学校であった。家からは西武線を横切って50分ほど歩いていかなくてはならなかった。
 4年生になる時、西武線のこちら側に八成小学校が新設された。担任は久田芳(ひさだ・よし)という男の先生であった。60数名であったと思うが、1クラスで始まった私たちは4年生で最上級生であった。もともとは理科系の先生であったので、2時間通しての実験の授業が多くて楽しかった。4年、5年生は1クラスで学び、6年生になる時に2クラスに別れた。私は久田先生と離れることがすごく悲しかった。新しい芝崎春子先生が2組の担任になったが、なかなか懐くことはなかったのかもしれない。「重石さん、久田先生がいいのでしょう?」と、ある日の休み時間に芝崎先生から言われてしまった。
 数日前、八成小学校時代の山本勝之君から「久芝会」の案内が届いた。山本君は確か1組の久田先生のクラスだった・・。今もずっと親友でいてくださっている片山和子さんも1組だったなあ!

 さて掲句とどんな関係があるのだろう。私の中で、小学校時代はまさに春風のような時代であった。