第二十七夜 あらきみほの「春夕焼」の句

 夫は大学時代からの友人と二人の桜見物に、昨日、上野公園へ出かけた。「飲みすぎて酔っ払って遅くなったりしないで帰ってきてくださいね!」と、娘と私から釘を刺されて出かけた。
 だが、だからと言って呑んべえで過ごしてきた夫が、昼前に出かけた夫が、うな重のお土産を下げて夕方6時に戻ってくるとはまさかの出来事であった。
 
 茨城県南には桜の名所はたくさんあるが、80歳間近となった夫と77歳ではあるが2年前に右大腿骨骨折で手術をした私は、娘から運転を控えるように言われ、昨年の免許更新をしなかった。私に続いて夫も免許を失った。福岡堰までは遠いし、福岡堰の2キロに及ぶ桜
並木道を歩くのは諦めよう! お花見は無理かしら?
 
 ところが翌日の今日、娘はお父さんと私と犬のノエルを車に乗せてわが家の裏手を通るふれあい道路の一本道を取手に向かった。この道は、桜並木である。茨城県取手市に練馬区から越してきたのは2000年の暮であったから茨城県民になって23年目となる。当初から桜並木はあったが、長い年月の間に深々とした見事な桜並木に育っていた。

 今日のお花見は娘からのプレゼントであった。

■あらきみほの最近の句

 1・死は句点はた春夕焼の読点か
 (しはくてん はた はるゆうやけのとうてんか)

 いずれ死は訪れる。突然であればそれはそれであるが、たいていは徐々に高年となってゆくものであるから、私たち夫婦が死を迎える頃にはどんな気持ちでいるかしらと考えることがある。
 俳句を考えていると「死は句点」の五文字が浮かんできた。句点は一区切りがついた箇所に打つ「。」である。つぎに、この句の最終の輝きを「、」と打つ「春夕焼の読点」と考えた。
 「はた」には、「それとも」という意味もある。死んでしまえば分かる術はないから「はた」とした。


 2・翔平のしぐさにオーラ春の虹
 (しょうへいの しぐさにオーラ はるのにじ

 オーラとは、「微風」「朝の爽やかな空気」を意味するが、そこから例えば大谷翔平の姿が現れるや周り中に明るい雰囲気がかもし出される、その時に用いられる言葉となる。間もなく80歳になろうとしている私たち夫婦の世代も若い世代に劣らず大ファンである。
 この句の季語を「春の虹」としてみた。オーラを図解すると半円を描く虹のように見えるからであるが、マウンドに立つ時もバッターボックスに立つ時も、虹を背負うかたちの大谷翔平って何だか素敵だ。


 3・ノエル つくしんぼうは嫌ひですか
 (ノエル つくしんぼうは きらいですか)

 わが家の黒ラブ犬ノエルは、散歩で見かけるぺんぺん草など草類をパクっと食べることがあるが、私から見ると可愛らしいつくしんぼうなのにノエルが食べることはない。不思議に思ってネットで調べてみた。土筆には少量ながらアルカロイドという毒性はあると書かれていた。
 ノエルが土筆を食べない用心深さに安心したが、毒性を嗅ぎ分ける能力が犬には元々あったのであろうか。


 4・花の頃くらくら頭のうしろかな  
 (はなのころ くらくらあたまの うしろかな)
 
 中学校以来の友と、ここ数年、春の目眩の話題が出てくるようになった。話を聞いているうちに、昨年の春に一句〈もう春よ目眩はきつと春のせい〉と詠んでいた。
 後頭部の痛さは辛いもの・・鎮痛剤をちょこちょこ飲んでいる私を見て、娘は「しょっちゅう飲んでいると薬って効かなくなるものよ!」と言う。母のように言う。