第二十八夜 辻桃子の「外套の腕」の句

 辻桃子さんは、荒木清が出版社蝸牛社を経営していた時代に刊行した俳句背景シリーズの第13巻『桃童子』をご執筆くださった。今も結社主宰の出版記念パーティは賑やかに行われているであろうが、蝸牛社でも句集が出版されるとほとんどの俳人は関係者を招いて記念パーティを催した。私も版元の一員として、入り口で句集の販売の手伝いをすることもあったが、桃子さんと記憶に残るほどの言葉を交わしたことはないと思う。

 美しく華やかな雰囲気の辻桃子さんの作品を『桃童子』から紹介させていただこう。


 1・虚子の忌の大浴場に泳ぐなり
 (きょしのきの だいよくじょうに およぐなり)
 
 この作品は、辻桃子が俳句を始めて17年目、子どもが生まれて12年目、初めて母に子を預けて一人で上諏訪温泉へ一泊の吟行へ行った37歳の時に詠んだものであるという。
開放されたひととき、桃子さんは、だれもいない温泉に入るや抜き手をきってゆっくり泳いでいる姿が見えてくる。
 ある日、この作品が新聞に取り上げられた。
 「今年もまた虚子の忌日が近づいてきた。毎年4月8日には鎌倉の寿福寺で法要と俳句会が催される。(中略)掲句は虚子とは一面識もないうら若き女性。私にはこれといっ
て虚子の句が無いだけに、正直いってこの句には驚いた。鎌倉から二重丸がついて戻ってくる一句と思う」と(昭和58年『毎日新聞』)に書いてくださったのが「青」主宰の
波多野爽波先生であったという。
 高浜虚子の最晩年に直接の指導を受けることの出来た弟子であった深見けん二は、東京の若手の「新人会」に属し、波多野爽波は京都帝大を卒業して京大ホトトギスに属し「春
菜会」を発足した。俳誌「ホトトギス」に掲載される順位は、東の新人会と西の春菜会が毎月ホトトギスの稽古会に出席して作品を競い合っていた中で生まれたのであった。
 波多野爽波と言えば思い出すことがある。「花鳥来」の主宰となった深見けん二先生に師事するようになっていた私は、ある時深見けん二先生と龍子奥様から、波多野爽波のいつまでも虚子の話のつづく電話の長さをお聞きしたことがあった。
 同じように辻桃子さんが、あるパーティで波多野爽波にお会いして「ああ、あなたが辻さん」と、波多野爽波が話し始めるやずっと虚子の話をつづけ、パーティが終わっても知り合いの店に連れて行ってまで虚子の話をしたという。桃子さんが話の合間に「虚子が・・」と言うや、すぐさま「虚子先生と言いなさい!」と波多野爽波に言われたというが、そうした一つのことからも虚子の弟子たちの俳句の師・虚子に向かう真摯な心が伝わってきた。
 桃子さんには、波多野爽波らしさを詠んだ次の句がある。
  爽波先生言ひたい放題露すずし

 2・吊るされて外套の腕垂るるなり
 (つるされて がいとうのうで たるるなり)

 私が、辻桃子さんの俳句に触れたのは、蝸牛社の荒木清宛に送られてきた俳誌『童子』であった。荒木が読み終えると次に私が読んでいた。虚子の教える客観写生であり客観描写の作品であるが・・どこか違う・・そうだ、この作品からは人間が見えてこないのだ。吊るされた状態を詠んでいるので人間が見えないことが正解であり、当然といえば当然だが一瞬、「吊るされた外套の腕」が「幽霊」の姿のように感じてしまった。
 この作品は、客観写生であってもホトトギスの俳人と全く異なっている詠み方であると思った。私は辻桃子さんの印象的な句として忽ち覚えてしまった。

 3・絵本すずしピーターラビットずるしずるし
 (えほんすずし ピーターラビット ずるしずるし)

 この句も好きだ。「すずし」「ずるしずるし」の「ず」「し」の重なり具合がリズミカルで心地よく、絵本の主人公ピーターラビットはいたずら好きのうさぎの男の子ピーターはまさに「ずるし」である。わが家でも幼かった子どもたちを寝かせる前に読んで聞かせた人気の絵本であった。姉の方は本が大好きで、ピーターラビットのいたずらもすぐに気づいてキャッキャと笑いながら聞いていたが息子の方は昼間のどろんこ遊びで疲れ切っていてすぐに寝息を立てていた。