第二十九夜 あらきみほの「春満月」の句

 昨日は春満月。今日は4月8日の虚子忌。もう10年ほど前のこと、訪れるのは3度目である。1度目は夫と、2度目は深見けん二主宰「花鳥来」の吟行句会、3度目は石寒太主宰「炎環」の吟行句会であった。虚子のお墓に参りたいと電車に乗って一人で鎌倉へ向かった。    
 わが家から正味2時間ほどで鎌倉駅に着き、乗り換えて寿福寺のある駅に着いた。切通の一番奥のやぐらに虚子の墓がある。切通とは、山や丘など部分的に開削して交通できるようにした場所で鎌倉には多いという。虚子の墓の両隣には孫の「白童女」こと六ちゃんの墓と高木晴子の孫の防子の墓が並んでいる。近くには小説『虹』の主人公となった森田愛子の墓があった。愛子が亡くなったのは1947年4月1日。虚子が亡くなったのは1958年4月8日で虚子よりも先に亡くなっている。愛子の墓は斜めの向きで虚子の墓の方を向いていた。愛の現れであるが、1つだけ違う向きの墓を建てることは虚子の生存中に許可を得ていたという。


 1・ちいさいモモちゃんの指に春満月  あらきみほ
 (ちいさい モモちゃんのゆびに はるまんげつ)
 
 今日は本棚から、かつて幼い娘に読んで聞かせた青い鳥文庫の松谷みよ子作『ちいさいモモちゃん』を引っ張りだした。モモちゃんとアカネちゃんの本のシリーズ一巻目である。
 母である私がどのような思いで娘にモモちゃんの本を読んで聞かせたのか、今は大人になった娘がどのような思いで聞いていたのか心の奥を知るよしもない。母である私も、幼い頃から良い本を聞かせて育てることは「よいこと」であると、私の父がそのような考えで私を育ててくれたから、私も同じようにわが子に本の読み聞かせをしたのかもしれない。

 掲句は私の想像である。昨日は春満月であった。モモちゃんがこんな美しい夜の散歩に出たら、「あっ! おつきさま、まんまるです!」と、赤ちゃんの頃からずっとモモちゃんの見張り役のようにくっついている黒猫のプーがモモちゃんに話しかけた。するとモモちゃんはきっと、「あい! おつきさま、まんまるだあ!」とお返事したことだろう。

 2・筋雲にかこまれてゐし春満月  あらきみほ
 (すじぐもに かこまれていし はるまんげつ)

 昨夜の4月6日はワクワクしていた通り、玄関の扉を開けて犬のノエルと空を見上げると筋雲を散らした中に春満月が浮かんでいた。散歩コースをいつもと少し変えて、美しい春満月をずうっと頭上に感じながらの道を選びながら歩いてきた。わが住む守谷市松が丘は森や林や野原や畑が広がっている。

 3・行きあひし人の面に春の月  松野自得
 (ゆきあいし ひとのおもてに はるのつき) まつの・じとく
 
 松野自得(まつのじとく)は1890年(明治23)、邑楽郡館林町(現・館林市)に生まれ、後に移った荒砥村(現・前橋市)の最善寺を拠点に全国を巡る旅を続けながら、僧侶、日本画家、書家、文筆家、そして俳人として活躍した。
 掲句は、いささか酔い心地の帰宅の途中のことである。たまたますれちがった人・・行きあひし人に目をやると、春の月明りに照らされた女人の顔はじつに柔和な美しい表情であった。この夜、作者の松野自得の脳裏に残像のように残った女人の表情は春宵の心地よい風となって過ったであろう。
 「行きあひし」とした、上五の入り方がじつに自然でいい。