第九十四夜 鷹羽狩行の「閑古鳥」の句

  湖といふ大きな耳に閑古鳥 『六花』
  
 鑑賞をしてみよう。
 
 芦ノ湖を箱根山中から眺めた作品だという。辺りには閑古鳥(=カッコウ)が美しい声で鳴いているばかりである。聞いているのは自分ばかりのようだが、ケーブルカーから眺める眼下には波もない静かな湖面が広がっている。そういえば、楕円形が歪んで耳たぶの形にも見える。その大きな耳の芦ノ湖に向かって、カッコウは声を張り上げて聞かせているようでもある。だが、大きな反響板の湖面はぴくりともしない。
 鷹羽狩行俳句の特徴は、師の山口誓子譲りの的確な知的な対象把握であり、斬新な見立ての上手さだといわれる。「湖(うみ)といふ大きな耳」という譬喩に驚かされもするが、芦ノ湖を大きな耳と見立てるなどナイーブ感性の作品は、ドライではなく暖かさもあって、どこか絵本を見ているようでもある。

 鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)は、昭和五年(1030)、山形県新庄市生まれ。十六歳で俳句を始め、昭和二十三年に山口誓子の「天狼」の創刊の言葉に共感して入会。山口誓子・秋元不死男に師事。〈みちのくの星入り氷柱われに呉れよ〉〈天花粉しんじつ吾子は無一物〉など第一句集『誕生』により俳人協会賞受賞。昭和五十二年に会社を退職して俳句専業となり、昭和五十三年、「狩」を創刊主宰。平成十四年、俳人協会会長に就任。平成二十年、句集『十五峯』で第42回蛇笏賞および第23回詩歌文学館賞受賞。
 
 もう少し、鷹羽狩行俳句をみてみよう。
 
  落椿われならば急流へ落つ 『誕生』
  
 椿の美しさは、落椿が一番ではないだろうか。椿の時期になると、私の住む茨城県南の牛久沼の高台にある画人小川芋銭居から隣人である文人住居すえ居の、屋敷林の高い椿に会いにゆく。落椿に行き合うように何回も行く。ここは急な崖があって沼に落ちるところが見たいと思うが、見下ろすだけに止めている。
 掲句は、流れの淀んだところへ落ちた椿だという。しかし、落椿の美しさは急流の中で花の面を見せて揉まれる瞬間であると信じる鷹羽狩行だからこそ、「われならば急流に落つ」と詠んだ心象風景である。
 
  紅梅や枝々は空奪ひあひ 『月歩抄』
  
 白梅の楚々とした美しさとは違う。紅梅の満開の美しさには、怖いほどの迫力がある。満開の梅を見上げていると、紅(くれない)は空を染め、空を狭め、空へ滲み出すようである。その姿が「枝々は空奪ひあひ」であり、紅梅の迫力ある美を言い切った言葉である。