第九十五夜 佐藤念腹の「雷」の句

  雷や四方の樹海の子雷  佐藤念腹

 鑑賞をしてみよう。
 
 最初は、「子雷」って何だろう、どんな雷だろうと思った。私の机には、稲畑汀子汀子監修『ホトトギス 巻頭句集』と『ホトトギス 雑詠句評会抄』が並んでいる。読み直してみた。雑詠句評会は、「ホトトギス」の雑詠の中から虚子が選んだ句を、担当の同人たちが、共鳴し感心し批評してみたら面白いと思われる処を、十分に調べた上で、作句された力に伍する迫力で鑑賞に臨んでいたという。同人の鑑賞も鋭いが、虚子の鑑賞の絶妙な視点によって、名句が生まれ、俳人を生んだということを改めて知る書である。
 
 まず水原秋桜子の評である。
「大きな雷が一つ鳴りはためくとその谺が四方の樹海にこもって多くの雷がいつまでも鳴り響いているような気がするという句である。雷の谺を子雷と云って小雷と云わなかった処など非常に面白い。」
 次に高野素十の評である。
「南米の天地はかくもあろうかと思われるほど雄大によく景色が出ている。」
 最後に虚子の評である。
「秋桜子君の言の如く、子雷とはよく言った。(略)子雷という言葉を捻出したのは念腹君の俳句の技量が著しく進歩したことを証明するものである。」
     
 佐藤念腹(さとう・ねんぷく)は、明治三十一年(1898)―昭和五十四年(1979)、新潟県笹丘村(現阿賀野市)生まれ。念腹の俳句の始まりは知らないが、「ホトトギス」に投句して一句選の頃、新潟医科大学に来た永田みづほの名を「ホトトギス」で見つけて、笹丘村から列車を乗り継いで新潟まで会いに行ったことが俳句に夢中になったきっかけである。虚子を新潟に招いて、句会を共にすることができたこともみづほのお陰であった。
 やがて、農家の三男の念腹は、ブラジルへ入植者として移民することに決めた。昭和二年三月下旬、ブラジルへ赴く念腹へ、高浜虚子から餞の一句〈畑打って俳諧国を拓くべし〉が贈られている。高浜虚子著『贈答句集』収集。

 夢を描いて入植しても、異国の熱帯の地で、コーヒー農園で奴隷のようにこき使われることも、土地を得てコーヒー農園を開拓することも厳しく辛い日々であった。だが、このブラジルに根付いている一つに、俳句という「五・七・五の短詩」があったことは見逃せない。短さのために、過酷な労働から心を切り替えて遊ぶことができ、十七文字が心の癒しとなる場合もあったのだろう。
 師の高浜虚子の願ったとおり、念腹も〈八方に流るゝ星や天の川〉〈群鳥は腐肉に蛇は樹の上に〉、一足先にブラジルへ出発した木村圭石も〈うららかや珈琲畑の大起伏〉など、ともにブラジルで俳諧国を拓き、俳句の第一人者となった。俳句に対する念腹の精神力は凄まじいものだったのであろう。
 
 もう一句、代表句を紹介しよう。

  ブラジルは世界の田舎むかご飯  佐藤念腹