第九十七夜 森 澄雄の「木の実」の句

  木の実のごとき臍もちき死なしめき  森 澄雄 『白小』
  
 鑑賞をしてみよう。
 
 森澄雄の、長年連れ添った妻のあき子が急逝した折の作品である。外出先から戻ると、いつもは「お帰りなさい」と出迎えてくれる妻が、声も立てずに玄関先で倒れていた。すでに息はなかったが、救急車で向かった病院では心筋梗塞であったという。妻がこのような亡くなり方をしたら、夫はどうしたらいいのだろう、おろおろするばかりだろう。

 掲句を最初に知ったのは俳句雑誌だったように思う。「木の実のごとき臍」の措辞にはびっくりした。エロスを思わせる強烈なインパクトである。
 澄雄は、自分が留守をしていた間に、もしかすると苦しみながら妻は、夫である自分を探しながら遂に玄関先で倒れたのではないかと想像した。
 「臍もちき」「死なしめき」の「き」は、直接に体験したことを表す過去の助動詞であり、回想して述べる場合に用いるという。この二つの「き」の反復の効果は絶大である。まさに澄雄の慟哭の一句である。
「木の実のような愛らしい臍を持っていた妻を、夫である僕が側にいなかったことで、僕は死なせてしまった・・。」
 だが、「木の実のやうな臍」という具体的に見える「モノ」を置いたことによって、あき子は永遠に澄雄だけの妻となったのではないだろうか。

 森澄雄(もり・すみお)は、大正八年(1919)―平成二十二年(2010)、兵庫県生まれの長崎育ち。加藤楸邨の「寒雷」創刊に参加し師事し、石田波郷に私淑する。句集『四遠』により蛇笏賞受賞。昭和四十五年、「杉」を創刊主宰。昭和六十三年、妻のあき子没。代表作に〈除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり〉がある。
 
 澄雄は、芭蕉の「虚に居て実をおこなふべし」を俳句のモットーにして素(もと)の人間が俳句を詠む、平凡なことに深さを見つける、それには写生が大事であるとしている。
 
 もう一句紹介してみよう。
 
  家に時計なければ雪はとめどなし 『雪礫』
 
 一句目、若くて極貧の頃、時代的にも戦後の貧しさの頃で、六畳一間の借家住まいであった。昔の家にはチクタクと鳴る柱時計がかかっているものだが、澄雄の家にはなかったという。澄雄の自解にはこうある。
「だが、時計がないことによって、時間は音もなく、茫茫とのびる。ふり出した雪は、小さな家族をつつんで、白く、とめどもなく、茫茫とふりつづいていた。」