第九十八夜 藤田湘子の「あめんぼ」の句

  あめんぼと雨とあめんぼと雨と  藤田湘子 『神楽』
  
 鑑賞をしてみよう。
 
 池か沼か小川か田んぼの用水路など、あまり流れのない水面にアメンボがいる。「あめんぼ」は水馬(あめんぼう)のことで、細く長い六本足をもつ肉食の昆虫で、器用に水の上を歩き、飛んでくる虫を捕食する。よく見かけるあめんぼは、泳ぐというよりも、表面張力が半端なく強い六本の足で水を凹ませながら歩いてゆく姿である。その際の水の凹みは、雨が降ったときの水の凹みと似ている。

 湘子は、あめんぼを眺めている。あめんぼは水面を凹ませて歩いている。水底にまあるい影ができている。ずいぶんと長い間じっと佇んでいたであろう。まるい凹みは、いつしか湘子の目に雨粒となった。俳句にした時には、十七文字からは、抒情は勿論のこと叙景すら取り払われている。
 「あめんぼ」と「雨」だけで、何の意味も込めなかったが、「あめんぼ」と「雨」、「あめんぼ」と「雨」のフレイズが、やがて音楽のように鳴り響き出した。
 この作品は、主題は「あめんぼ」で、「雨」は実際には降っていない。
 
 改めて、明治時代に高浜虚子が河東碧梧桐と俳句論争をした当時の言葉を、私は思い出している。
「今の俳壇に欠くる所は底光りの少ないことである。(略)碧梧桐の句にも乏しいと思われて渇望に堪えない句は、単純なる事棒の如き句、重々しい事石の如く、無味なる事水の如き句、ボーッとした句、ヌ―ッとした句、ふぬけた句、まぬけた句等。」

 藤田湘子(ふじた・しょうし)は、大正三年(1914)―平成十七年(2005)神奈川県小田原市生まれ。昭和十八年、水原秋桜子に師事、石田波郷の後を継いで「馬酔木」編集長。昭和三十九年、「鷹」を創刊。昭和四十三年に「馬酔木」を辞して「鷹」主宰。第一句集『途上』の代表句〈愛されずして沖遠く泳ぐなり〉は、清新な抒情であり、戦後抒情詩の一頂点である。
 
 その後、湘子は高浜虚子の多作を思い写生を思い、ある時は三年間一日十句、ある時は一日三十句という多作の荒行を試みたという。〈筍や雨粒ひとつふたつ百〉の「筍」や〈口で紐解けば日暮や西行忌〉の「口で紐解けば」の「モノ」であり「具体性」は、湘子の俳句人生のもっとも大きなテーマ「形象力の獲得」であろうか。

 もう一句紹介しよう。
 
  うすらひは深山へかへる花の如 『春祭』
 
 「薄氷(うすらひ)」は、春の季語で、早春にうっすらと張る氷のこと。その「うすらひ」に深山に咲くさくらの花弁の繊細さを感じ取ったのであろう、幻想的である。
 湘子は、このように言っている。
「ぼくはこの句を美意識の象徴化であると思う。それは飯田龍太の<一月の川一月の谷の中>や、高浜虚子の<去年今年貫く棒の如きもの>に通じるテイスト。龍太句は具象の気配を引きずっているように見えて川も谷も可視的なものではなく心象であり、虚子句には物の気配さえなく言葉のみ図太くある。」