第九十九夜 小宅容義の「春の暮」の句

  浮いているお手玉ふたつ春の暮  小宅容義 平成二年

 鑑賞をしてみよう。

 お手玉がふたつ宙に浮いている。お手玉は、小さな布袋に小豆やジュズダマの実などを入れて縫い合わせた玩具で、一個からお手玉遊びはできるが、上手になれば、一人で数個を次々に片手から片手へ投げ上げる。見ていると輪のようである。お手玉が手から滑り落ちたら終わり、勝負だったら負けとなる。
 掲句では「浮いているお手玉ふたつ」とある。二つのお手玉を上手に回しているから浮いているように見える。三つ、四つと回すのは難度が高い。女の子たちは夕暮れまで遊んでいる。夕焼け色に暮れなずむ春の空に、いつまでも、お手玉がふたつ浮いている景が見える。
 
 この『俳陶集』は、左ページが陶板の俳陶作品、右のページには短いエッセイがある。俳句の説明ではないが、句の奥行きを深めてくれる。左ページの陶板の色は夕焼け色。
 掲句には、「父の生家に祠があって、昔は近在からよくお参りに来たらしい。疣の神様で、供えてあるお手玉を持ち帰り擦っているうちに不思議に治ってしまうとか。(略)めでたく全快すると新しいお手玉を一つ殖やしてお礼参り。そう言えば確かにお手玉は山と積まれていた。」とある。
 
 小宅容義(おやけ・やすよし)は、大正十五年(1926)―平成二十六年(2014)東京生まれ。「かびれ」の大竹孤悠に師事。同人誌「麦明」を創刊。現代俳句協会副会長を務めた。歌舞伎町で飯屋「ひょっとこ」を経営。超結社句会をやるなど若い俳人の面倒をよくみた。句作は、みんなに読んでもらいたいと途中から現代仮名遣いに転じた。

 多くの俳人が出入りしお酒もカラオケも楽しめる「ひょっとこ」に、当時俳句関連の出版が多かった蝸牛社の荒木清が、出没しないわけがない。最初に連れて行ってくれたのは、集英社の菊田一平さん。月に二十回は句会に参加するという俳句のつわ者で、活躍の場の一つが超結社「晨」の同人。
 今回紹介している『俳陶集』は、その一平さんの肝煎りでできた、小宅容義の俳句を陶板に刻んだ俳陶作品は、陶芸作品集である。見事な作品64点全てがカラー写真というのは、当時は贅沢な一書であった。

 もう少し小宅容義の言葉の一部とともに紹介しよう。

  空の蒼さを言いたいのだがあわわわわ  昭和五十年
  いびつな輪いびつにうごく月の下  平成七年

 一句目、「本当の空の蒼さはもっともっと暗い色であった。何か痛みを伴っているとでも表現したくなるような、そんな空がチベットにはあった。」
 二句目、「郡上八幡の踊の輪は凄くて十列どころではない。太古の血が今に蘇るのであろうか。大群集の只中にいながら、遂には我しか存在しないのだ。」