第百二夜 鈴木花蓑の「春日」の句

  大いなる春日の翼垂れてあり  鈴木花蓑 『鈴木花蓑句集』
  
 鑑賞してみよう。
 
 掲句の季題は「春日」。この春日は夕日であろう。主役の春日のやわらかな茜色が、晴れ渡った夕暮の空いっぱいに広がっている。まるで春日が翼を広げているかのように。
 大正時代の後期から昭和にかけて虚子は、客観写生を自らも試みながら指導をしていた時代である。だが虚子は、客観写生を進めてゆくと主観客観を供えた作品になるとも言っていた。この花蓑の作品からは、客観写生の句というよりも、どこか詩を感じさせてくれるのは、そういうことであったのだ。

 花蓑は、春日の夕茜の広がりを「春日の翼垂れてあり」という表現で、赤い翼が西空に垂れているのだと言い切った。「あり」と言い切ったことで、強い詩情を与える春日の夕の景となった。
 筆者は、美しい春の夕日に出会うと、この句を思い、大きく垂れ下がった翼を思う。きっと他の季節にはない水分を含んだような朧を感じるからであろう。春日といっても晩春のころ、愁いを含んだ行く春のころかもしれない。
  
 鈴木花蓑(すずき・はなみの)は、明治十三年(1880)―昭和十七年(1942)、愛知県生まれ。大審院書記。1915年に「ホトトギス」に初めて入選する。西山泊雲とともに大正末期の「ホトトギス」を代表する作家であり、高浜虚子の提唱した「客観写生」を忠実に実践し、題材を見つけると二時間でも三時間でも動かなったという。没後に『鈴木花蓑句集』を刊行した。

 もう一句紹介しよう。
 
  鷹舞へり雪の山々慴伏(しょうふく)す

 『ホトトギス 雑詠句評会抄』の、高浜虚子の句評を紹介する。「慴伏=おそれひれ伏すこと」
「雪の山々が連なっている景色は、物々しいものである。が、其の物々しい山々も一羽の鷹の威に恐れてひれ伏しているように見える。鷹は悠然と大空に舞っている、と言ったのである。
 景色はただ平凡な雪の連山の上に鷹が舞うているというに過ぎないのであるが、斯く叙されて見ると昂然とした気持ちを受け取り得るのである。老作者の腕というようなものを思わしめる。」

 この句は、昭和十六年の花蓑最後の巻頭作品である。十七年十一月二十二日に行われた花蓑の追悼句会へ虚子は〈天地の間にほろと時雨かな〉の弔句を寄せた。