第百三夜 宮脇白夜の「落し文」の句

  落し文村のポストへ入れて来し  平成七年

 鑑賞をしてみよう。
 
 「落し文」は、オトシブミ科の昆虫。初夏に広葉樹の葉を筒状に巻いて巣を作り産卵して地上に落す。この筒状の葉を落し文に見立てたもの。  
 白夜は、昭和六十二年には〈銀木犀詩の投函は暮れてより〉、昭和六十三年には〈投函は一詩の巣立ち春の雲〉と、俳句投函の場面を詠んでいる。白夜にとっては、俳句作品を投句をすることは全霊を込めて師の草田男に預けることであり、銀木犀の香りの濃くなる夕方に投函しようと考えたり、封書が赤いポストに音を立てて落ちた瞬間が即ち一詩が大空をゆく雲になる巣立つ瞬間だから、と想像したりする。
 
 掲句は十年後の作品。俳人協会編『自註現代俳句シリーズ 宮脇白夜』によれば、「山荘生活の一齣。山道を散歩すると、時折落し文を見つける。何気なく持って歩くうちポストがあったので入れる。どこへ届くのかしら。」という。
 落し文を森のポストに入れて来たよ、という見落としそうなほどシンプルな動作の表現だが、なんだか不思議な景が現れた。恋文でもひょっとポストに投函したのかと、七十歳近い俳人白夜の少年のような心を思ったけれど、でも、本当に届いたかな、どこへ届くのだろう。
 この作品が詩へ昇華したのは、どこかメルヘンチックな「村のポスト」という言葉の効果であろう。

 宮脇白夜(みやわき・はくや)は、大正十四年(1926)―平成二十一年(2009)広島県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。元テレビ局勤務。昭和二十一年「萬緑」創刊より入会、中村草田男に師事。二年ほどで病気による長い中断があったが、昭和四十年に復帰。四十八年萬緑賞、編集長。草田男の没後の平成三年、「萬緑」を離れ、「方舟」創刊主宰。平成十三年より「慶大俳句丘の会」会長。平成三年「方舟」創刊主宰。平成二十一年七月三日帰天。

 昭和五十八年、師中村草田男が亡くなられた。〈夏燕翔び昏れしより師の受洗〉は草田男が死の間際の作。〈音もなく師は燃えて今日原爆忌〉とあるように、八月五日が草田男忌である。

 宮脇白夜の著書『草田男の森』は、師の中村草田男の研究書。Ⅰ章は、草田男が生涯の師と仰ぐ高浜虚子との関わりが書かれていた。有名な「降る雪や明治は遠くなりにけり」の、季重なりの草田男の自解や山本健吉の解釈もさりながら、当日の東大俳句会で虚子は採らなかったが、帰りのエレベーターの中で「あの句はやはり採っておこう」と言った虚子の選ということ、その後も、草田男俳句の新しさを「ホトトギス」で巻頭作品に選び続けた虚子の選の、「選は創作なり」を改めて考えさせられた。
 もう一句、草田男が亡くなられた折の句を紹介する。テレビ局勤務の白夜の素早い電話で、その日の早朝のNHKテレビニュースで草田男の死の報が流れたという。
 
  石棺に「帰天」の二文字曼珠沙華  昭和五十八年