第百五夜 田中裕明の「初雪」の句

  初雪の二十六萬色を知る 『櫻姫譚』平成四年

 蝸牛社で、秀句350選シリーズを企画した際に18巻目の『数』の著者として引き受けてくれたのが、田中裕明である。刊行から三十年を経て、どういう経緯であったか定かではないが、『数』というテーマに誠に相応しい方であった。今回「千夜千句」で紹介するのは、感謝を込めて、原稿を書いてくださっていた頃の句集『櫻姫譚』から数字の入っている作品を選んでみた。
 
 掲句をみてみよう。
 
 初雪は白い。白い筈の雪が二十六萬色とは、どういうことかと数学が苦手な私は思った。そう言えば昔、美術の時間に習ったのは、光の三原色は赤と緑と青であり、絵の具の三原色はシアン(青緑)とマゼンダ(赤紫)とイエロー(黄)ということであり、そして三原色を混ぜ合わせると白が生まれるということであった。だが「二十六萬色」とは? 調べてみると、カラーテレビの液晶ディスプレイの最大表示色であるという。
 京大工学部電子工学科卒の田中裕明は、初雪を見ていても、単純に「ああ、白い雪だ!」とは思わず、二十六萬色が混じり合ってできている色だと思ったのだ。
 「萬」という旧字が効果的で、宇宙の果から届いた色彩のようだ。
 
 田中裕明(たなか・ひろあき)は、昭和三十四年(1959)―平成十六年(2004)大阪市生まれ。京大工学部電子工学科卒。昭和五十二年、波多野爽波に師事し「青」同人。平成三年、「青」終刊。平成十二年、「ゆう」を創刊・主宰。昭和五十七年、大学卒業の年に角川俳句賞を史上最年少の二十二歳で受賞。〈目のなかに芒原あり森賀まり〉は、妻であり俳人の森賀まり。平成十六年十二月三十日逝去。享年四十五。
 田中裕明は、「日本の伝統詩としての俳句をつくる」ということ、「詩情を大切にする」ということを俳句表現においてもっとも大切なことと考えた。

 もう少し作品を紹介する。
 
  小鳥またくぐるこの世のほかの門 『櫻姫譚』
  小鳥来るここに静かな場所がある 『先生からの手紙』
  
 一句目、この小鳥は、もしかしたら田中裕明・・もしかしたら読み手の私、という風にも読み取れそうだ。小鳥の動きはあの世この世を自在に行き交うものであり、それは人間の願望かもしれない。『櫻姫譚』の作品は、句意が取りにくく戸惑うことも多かったが、読み返すうちに惹かれてゆくものを感じた。
 二句目、最後の句集の『先生からの手紙』の作品は、平明な言葉であり穏やかである。生涯の師の波多野爽波が亡くなられたのは、『櫻姫譚』の刊行直前であった。その後の田中裕明は、天から届く先生からの手紙と対話しながら俳句に向かっていたような気がしている。それが「静かな場所」であろうか。