第百六夜 桂 信子の「短夜」の句

  短夜の畳に厚きあしのうら 『月光抄』

 作品をみてみよう。
 
 「短夜」は夏の季題。昭和十四年、桂信子は前年から日野草城の「旗艦」に投句はしていたが、この日、初めて句会に参加した。しばらくして、黒い背広に、カンカン帽の長身の紳士が颯爽とはいってきた。この紳士こそ日野草城先生であった。掲句は、この句会で草城先生に採っていただいたもので生涯忘れられない作品だという。

 「畳に厚きあしのうら」とは、自分の足の裏が厚ぼったいと感じていることだと解釈したが、真夏の夜の暑さの中で畳に座ったときの足裏に感じた「厚ぼったさ」であり、さらに、草城先生を間近にしたときの緊張感からくる足裏の「厚ぼったさ」であろう。「厚き」と置いた感覚が鋭いと、草城先生から指摘されたという。
 『証言・昭和の俳句』上巻に登場した桂信子は、この句に触れて、いま思うと、この作品は触感の句でしょう、と言っている。
 
 日野草城の作品に惹かれて「旗艦」に参加した桂信子は、〈ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜〉〈やはらかき身を月光の中に入れ〉など、女性が己の女身を詠むことのなかった新しい作品を詠みつづけた。私たち読者が俳句を学び始めるなかで、驚きながら覚えてきた作品である。日野草城の死に際して詠んだ〈手袋に五指を分かちて意を決す〉の中七「五指を分かちて」は、まさに、指の動きの触感から悲しみと自らの俳句の姿勢を表現している。
 
 桂信子(かつら・のぶこ)は、大正三年(1914)―平成十六年(2004)大阪市生まれ。日野草城に師事。昭和十六年「旗艦」同人。その年に夫の桂七十七郎が喘息発作のため死去。戦後、日野草城の「青玄」創刊に参加。昭和四十五年に「草苑」を創刊・主宰。平成四年、第八句集『樹影』により蛇笏賞受賞。

 もう少し紹介しよう。

  蠟色の顔のゆき交う椿山 『新緑』 
  草の根の蛇の眠りにとどきけり 『樹影』
  
 一句目、「蠟色の顔」は、たとえば満開の桜の下ではどうだろうかと想像してみたが、やはり違うようだ。椿は、花の暗さというよりは分厚い葉の茂りの暗さがあるから、広大な椿山に入ると、ゆき交う人の顔が、うかうか黄泉の国へ紛れ込んだようにも見え、灯していない蠟の色にも見えたのであろう。
 二句目、草の根が伸びてきて、冬眠をしている蛇に触れてしまった。この句のその後はどうなるのか、怖いというよりも楽しい想像が始まりそうだ。