第百八夜 柴田白葉女の「春の星」の句

  春の星ひとつ潤めばみなうるむ 『月の笛』

 鑑賞してみよう。
 
 「ひとつ潤めばみなうるむ」と、断定した表現で詠まれている。夜空を見上げた白葉女は、大きな星をひとつ見つけた。どこか潤んでいるような瞬きである。鋭くきらめく冬の星とは違って、これは春の星だ。ゆっくり首を巡らせると、あの星もこの星もみなじゅわっと潤んでいる。
 気象学的に言えば、春の南風が運んでくる湿気のために霞が棚引くようになって月や星も潤んで見えるということだが、俳人としては、夜空を見上げて佇む私たちに応えて、春の星が潤んでくれていると考えていたい。
 
 高浜虚子の『虚子俳話』に「天地有情」という文がある。

「天地有情といふ。(科学は関せず)
 天地万物にも人間のごとき情がある。
 日月星辰にも情がある。
 禽獣蟲魚にも情がある。
 木石にも情がある。
 畢竟人間の情を天地万物禽獣木石類に移すのである。
 詩人(俳人)は天地万物禽獣木石類に情を感ずる。
 子規も嘗てかういふ事を言つた。「人間は嫌いだ。こちらが十の情を以てしても人は十の情を以て応へない。草木禽獣の類は、こちらが十の情を以て応へる。草木花鳥の類は好きだ」と。
 天地有情といふ。(遠き未来には科学もまたこれを認めるかもしれぬ)」
  
 柴田白葉女に「ゆたか」という文章が『現代女流俳句全集』第三巻にあった。白葉女は、とくに「のどかで迫らぬさま」の「ゆたか」が好きだという。太陽や風や雨や雪、星や月たち、春の花々、新緑、秋の紅葉など、自然の様相のゆたかさはこの世の人に分け隔てなく与えられたものと書いているが、これも虚子の「天地有情」と同じことになろうか。
  
 柴田白葉女(しばた・はくようじょ)は、明治三十九年(1906)―昭和五十九年(1984)兵庫県神戸市生まれ。父井上白嶺とともに飯田蛇笏門。「雲母」同人。昭和二十九年、加藤知世子、殿村菟絲子らと「女性俳句」を創刊。「俳句女園」を創刊主宰。昭和五十八年、第七句集『月の笛』により第17回蛇笏賞を受賞。

 代表句をもう一句みてみよう。

  水鳥のしづかに己が身を流す 『遠い橋』

 この句集の頃、四十代の白葉女は乳癌で乳房を片方失い、また同じ蛇笏門の父白嶺を亡くしている。湖の浮寝の水鳥たちは、己が身を任せきって微かな流れのまにまに漂っている。何という静かな景であろう。どんなことにも心を乱すことのない安心立命の境地のようである。