第百十二夜 鈴木六林男の「燕子花」の句

  天上も淋しからんに燕子花 『国境』

 掲句をみてみよう。
 
 昭和五十二年刊行の『国境』集中の作品。六林男は新興俳句の無季派だと自認している俳人である。「燕子花(カキツバタ)」は、有季派(俳句には季語を必ず入れる)ならば夏の季語であるが、無季派の六林男は、燕子花の花を詩の言葉として用いているのだろうか。有季派である筆者の私からみると、「燕子花」は一句の中で季題の本意を十分に含んだ作品だと思うのだが。
 燕子花は「いずれアヤメかカキツバタ」と言われるように見分けることが難しい花。カキツバタの特徴は、浅い水辺に咲き、花びらの中央が真白な剣型の模様があり、葉が広くやわらかい。アヤメの特徴は、地面に咲き、花びらの中央に網目模様があり、葉は固い。深い紫の花の凛とした美しさは、尾形光琳の「燕子花図屏風」に見る通りである。

 句意を考えてみる。
 
 燕子花を眺めながら六林男は、新興俳句運動で闘うように新しい俳句を目指した友や中国やフィリピンの戦場で闘った友を詠んだ。〈酒をのむ五人と一人足から冷ゆ〉や〈遺品あり岩波文庫『阿部一族』〉のように、亡くなってゆく友を思った。天上に逝ったあの世の友も淋しいが、友がこの世からいなくなってゆく私も淋しい。こうした淋しさは、燕子花のもつ孤高の美しさと響き合う。「杜若」「燕子花」と二通りの表記があるが、伊勢物語の「杜若」でなく尾形光琳の用いた「燕子花」の方が似合う。

 鈴木六林男(すずき・むりお)は、大正八年(1919)―平成十六年(2004)、大阪岸和田市生まれ。十七歳で句作を開始、「串柿」に投句、永田耕衣の選を受ける。「螺線」創刊。「京大俳句」「自鳴鐘(とけい)」に参加。西東三鬼に師事する。昭和十五年、陸軍の学徒兵として中国に出兵。昭和十七年、フィリピンにて負傷、帰国。創刊した「青天」を改題し、山口誓子雑詠選の同人誌「天狼」となる。無季俳句実践派を宣言。第三句集『第三突堤』により現代俳句協会賞を受賞。昭和四十六年「花曜」創刊代表。第十句集『雨の時代』により蛇笏賞を受賞。

 もう少し作品を挙げよう。無季の句である。
 
  暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり 『谷間の旗』
  右の眼に左翼左の眼に右翼 『悪霊』

 『証言・昭和の俳句』上巻に、次のような言葉があった。
「ぼくには有季と無季との国境がない。有季俳句を作ったり無季俳句を作ったりしています。ぼくは無国籍主義者です(笑)。最後に一番いいのは、地球が一つになって、地球国を作ったらええ、共生するためです。」