第百十三夜 藤松遊子の「卒業」の句

  卒業のその後の彼を誰(た)も知らず 『人も蟻も』
  
 藤松遊子は虚子晩年の弟子であり、師の深見けん二と今井千鶴子の三人による季刊誌「珊(さん)」のお仲間である。平成三年、深見けん二が「花鳥来」を創刊し、第四句集『花鳥来』で俳人協会賞を受賞された折の祝賀会で、筆者の私も初めてお目にかかってはいたが、すでに三十年も昔のことである。
 今、新型コロナウィルスが蔓延している。未だ終息の気配もない中で、学校は休校となり、卒業式は延期ではなく中止となった。ふと大好きなこの句を思い出した。
 
  掲句をみてみよう。
 
 卒業後、何年か経つとクラス会の案内状が届く。小学校から大学まで、歳を重ねるにつれて毎年開かれるようになる。今を生きることに追われ、つねに何かを追いかけている私は、時折しか参加できていない。しかし「その後の彼(彼女)を誰も知らず」と思われ、いつしか誘われなくなってゆくのも「なんだかなあ」と辛い。「卒業」は、学業を終えることだが、一方、ともに学び喧嘩もした友や熱心な担任教師との別れる悲しさ淋しさがある。会えば忽ち、十二歳の少女にも二十二歳の女性にもなれる。思い出話は尽きない。だから懐かしいのである。
 掲句は、第一句集『人も蟻も』の表題となった〈人も蟻も雀も犬も原爆忌〉と共に代表作である。佐賀に住む藤松遊子は、長崎大学が第一希望校であったが直前に原爆の街となったという。戦中戦後の最中の学生時代であった。
 
 藤松遊子(ふじまつ・ゆうし)は、大正十三年(1924)―平成十一年(1999)、佐賀県生まれ。昭和二十二年、「ホトトギス」に投句。昭和二十八年、虚子を囲んでの「研究座談会」に上野泰、深見けん二らと共に参加。昭和三十四年、「ホトトギス」同人。平成二年、深見けん二、今井千鶴子と三人で季刊誌「珊(さん)」を創刊。平成八年、「ホトトギス」創刊百年記念出版の一つ『虚子五句集』(岩波文庫)を担当、さらに『俳句への道』(岩波文庫)の編集、解説。

 第二句集から一句紹介する。

  とんぼうの空音もなく深かりし 『少年』
  
 一団の蜻蛉は羽音ひとつ立てず、なんと静かな群舞であろうか。「音もなく」は、蜻蛉の空の実態であるが、長いこと佇んで初めて「音のない世界」となる。「自然を前に己を無にしてその心に触れ、その世界を描きたい」と言った藤松遊子の句は、どれも「祈り」のように静寂に充ちていた。