第百十五夜 高浜虚子の「春雨」の句

  春雨の衣桁に重し恋衣  高浜虚子『五百句』
  
  鑑賞をしてみよう。
 
 衣桁(いこう)とは着物を掛けておく家具で細い木を鳥居形に組んだもので、両袖を拡げて掛けられているのは、恋する人の着物だから華やいだものである。逢瀬を終えての着物なのか、逢瀬のために拵えた着物なのか、いずれにしても戸外は止みそうにない春雨が降り続いている。

 季題「春雨」は「もの静かに、お止みなく、いつまでも降り続くように」詠むのが伝統文化の世界における捉え方であると言われ、二月末から三月に降る雨である。
 「衣桁に重し」とは、衣装の重量感であるが、「恋衣」に掛かるので、恋の重さも表している。「春雨」は綯うような甘さの恋の初めを思わせ、「衣桁の恋衣」は一筋にはいかない恋の行方を暗示する。
 現代の恋愛事情は、スマホがありパソコンがありネットがありテレビがあって、便利さが時間を短縮してしまって余情が生まれにくい。滅多に会えない、逢うまでの段取りの複雑さがある、手紙も認めて届けておかなくてはならないなど、待つ時間の長さが恋心を募らせるのではないだろうか。
 恋の贅沢さは時間にある。
 
 喜寿を祝して刊行された『喜寿艶』には、次のような虚子の自註がある。
「『恋の重荷』という謡曲がある。恋する者はそれだけ重荷を背負ふことになる。自分の力では運ぶことの出来ない程の重荷を背負ふことになる。衣桁には恋衣がかゝつて居る。重い恋衣がかゝつて居る。雨が降つてをる時には一層重いやうな心持がするその恋衣がかゝつて居る。」
 
 『五百句』は、「ホトトギス」五百号記念の出版であり、句数は五百句という考えの下に作られた、虚子の初めての自選句集である。

 私は、師深見けん二の「花鳥来」で行われた『五百句』輪講に参加した。虚子の俳句を学ぶうちに、お能一つ観たことがないのでは、虚子俳句は理解できないと思うようになり、有名な曲から少しずつ観に行くようになった。
 『五百句』輪講が終え、深見けん二監修による「虚子『五百句』入門」を刊行したが、この一句目を鑑賞したのは、あらきみほであった。

 というわけで、句集『五百句』の巻頭にこうした空想的な艶な作品が置かれていることに興味を覚えて句集を読み返した。すると恋衣を掛けた衣桁が、「道成寺」の釣鐘、「井筒」の井戸などが一曲の能のシンボリックな存在として能舞台に置かれたように、「作り物」のように思えてきた。
 虚子は、句集『五百句』の構成を能舞台に見立て、能の「作り物」として第一句目にこの作品を置いたのかもしれないと考えてみた。『五百句』にはすべての句形が存在すると言われているこの句集である。まさに能楽を愛した虚子らしい発想である。
 
 正岡子規は、虚子の句を「虚子は熱きこと火の如し。虚子の草木を見るは、猶有情の人間を見るごとし」と評した。