陰に生る麦尊けれ青山河 『地楡』
(ほとになる むぎとうとけれ あおさんが)
鑑賞してみよう。
いきなり陰(ほと=女陰)が出てくるので驚かされたが、十七文字から感じられるのは、北国の山河を背景に広々とひろがる麦畑である。
『現代俳句案内』(立風書房、1985年)は、当時の俳句隆盛を導いた俳人たちが自作について語っている書で、佐藤鬼房は掲句に触れていた。
「私は一穂の、あるいは一粒の麦にさえ大地を感じる。私という忍従の北方型の血がそうさせるのだろうか。梅雨前の青一色の山野に、ここだけが黄熟黃褐色の熱気がこもる。麦秋というもの。」
さらに、女陰から麦が生まれる思想は、悉知のように日本神話の「古事記」にあると明かしてくれていた。
私は、下五が「青山河」とあるので、うっかり青い麦畑だと思っていたが、「陰」とあるからには成熟した女性を連想させる豊かな「麦秋」こそ、この作品の光景として相応しい。そして、辺りの青々とした万目緑と麦秋の黄の色彩の美しさを瞬間に感じるべきであった。
簡単に「古事記」の神話を記しておこう。
ある日のこと、大神である須佐之男命(すさのおのみこと)が、食物の神・大宜都比売命(おおげつひめ)に食事を所望した。須佐之男命が支度の様子を見てしまったのが、大宜都比売命がお尻から食材を出しているところであった。須佐之男命は汚いと怒り、すぐさま大宜都比売命を殺した。
その死体の、頭からは蚕が、目からは稲が、耳からは粟が、鼻に小豆、ほと(女陰)に麦、尻に大豆が生じたので、宇宙を創造された造化三神の一人が採って種としたことで、五殻と養蚕の起源となったという。
佐藤鬼房さとう・おにふさ)は、大正八年(1919)―平成十四年(2002)、岩手県釜石市生まれ。十代からロシア文学を好み、新興俳句誌「句と評論」に投句。戦後は、西東三鬼に師事し、「青天」「雷光」「風」「天狼」「海程」に参加。昭和二十年代は社会性俳句の代表俳人。昭和六十年、宮城県塩竈市で「小熊座」を創刊・主宰。初期の代表句〈切株があり愚直の斧があり〉は、厳しい生活の中で「一層自己に誠実であるように努める」鬼房の分身。平成五年、『瀬頭』で蛇笏賞を受賞。
蛇笏賞となった『瀬頭』より一句紹介しよう。
やませ来るいたちのやうにしなやかに 『瀬頭』
「やませ」(山背)は、オホーツク海気団より吹く、冷たく湿った北東風または東風のこと。 春から秋にかけて、特に梅雨明けの後の夏季に吹く場合が多い。長く続くと冷害の原因となるという。この「やませ」を「いたち」のようだと感じたこと、「来」以外をすべて平仮名表記としたことで、鼬(イタチ」の動きのしなやかさと毛皮として珍重される美しさが相俟って、東北に住む人にとっての「やませ」の吹きようが見えてきた。