蝸牛社の秀句350選シリーズ、22巻『夢』の著者は友岡子郷である。刊行から三十年経って久しぶりに読み直した。解説に、俳句という作品の世界自体が「夢」という基本的性質を持つものであるとして、章を四つに分類していた。
Ⅰ章は、眠りのなかの別世界……睡眠中に見るさまざまな「夢」。
Ⅱ章は、目をくらますもの・幻……非現実的なものが不意に、はかなく現れること。
Ⅲ章は、ひろがる想念……現実の外へ自由に想像力を及ぼすこと。
Ⅳ章は、願い・望み。志……人生の先々にあってほしいと思うこと。
こうして分類された作品は、子郷の解説と鑑賞によって、私の考えの及ばなかった世界へと誘ってくれた。
ⅠからⅣの項目に当てはめて鑑賞できるか自信はないが、私も、子郷の作品から好きな句の鑑賞を試みてみよう。
跳箱の突き手一瞬冬が来る 『日の径』 Ⅳ
若き日の代表句であり、多くの歳時記で、季語「立冬」の例句になった作品だ。跳箱は小学校高学年から中学時代の体育の授業で行われる。初めは低く設定され、跳べると、段が増えて高くなる。勢いよく踏切板を蹴り、開脚し、跳箱のポイントに両手を突くという一連の動作がスムーズでなくてはいけない。「突き手」が一瞬であるのか、一瞬にして「立冬」を感じたのか、この句の男の子の一連の動作はじつに滑らかだ。この作品の凄さは「一瞬」の力であろう。
跳箱が苦手だっだ私は、この作品にⅣ章、願い・望み。志、を感じた。
跳箱を飛べない子はいつの時代にもいる。一度でも跳べないと、跳箱の高さは恐怖感となる。教師だった子郷は、「がんばれ! 跳び箱ができなくてもいいんだよ。でも跳べなかったことは忘れるなよ。つぎに何かに挑戦するときに繋がるから。」という思いで、生徒たちを眺めていたかもしれない。何事もマイナスに捉えてはいけない。冬の後には必ず春がやってくる。
倒、裂、破、崩、礫の街寒雀 『翌(あくるひ)』 Ⅱ
阪神淡路大震災での作品。永田耕衣の作品とともに強烈に記憶に残っている。震災というのは実際に起こった事実だが、Ⅱ章、目をくらますもの・幻、として考えてみたい。この震災の句は、長い年月をかけて苦しみ、乗り越え、それでも幻のように折々に襲ってくるものではないだろうか。悲しみの起点から目も心も逸らしてしまいがちだが、しっかり見つめ、心で受け止め、言葉にし、俳句作品にしたことが凄い。
ただひとりにも波は来る花ゑんど 『翌(あくるひ)』 Ⅲ
この作品に、Ⅲ章、ひろがる想念、を思った。ひとりぼっちの「われ」にも波が来るのだと、海辺に佇んで、押し寄せる波をずっと眺め、波音を聞きながら次第に癒やされてゆく。振り返れば「花ゑんど」が咲いている。やさしい光景だ。
「豌豆の花」を「花ゑんど」とした句は初めてだが、「ゑ」と歴史的仮名遣いにして、豌豆が、上へ上へと伸びてゆく髭のような蔓の先を思わせる。
林檎の中鉄階ありて母と攀ず 『遠方』 Ⅰ
この作品は、Ⅰ章、眠りのなかの別世界、に違いない。子郷のプロフィールから、戦前に長く疎開し、戦後直後にお母さんを亡くされていることを知った。この作品は夢の中のことで、子郷は大きな林檎の中にお母さんと一緒にいて、二人で、林檎の中の鉄の階段を攀(よ)じ登っているところだ。
友岡子郷(ともおか・しきょう)は、昭和九年(1934)兵庫県神戸市の生まれ。大学在学中、高浜虚子の「ホトトギス」、波多野爽波の「青」に投句。昭和三十二年「椰子会」を結成。昭和三十三年より「青」編集。昭和四十三年、「青」を辞し「雲母」入会、飯田龍太に師事、同人。同人誌「椰子」を創刊。昭和五十六年、椰子会代表。平成四年、「雲母」終刊。大井雅人の「柚」創刊に参加。平成五年、廣瀬直人の「白露」創刊に参加。平成十年「椰子」終刊。平成二十四年「椰子会」解散。