第百十九夜 飯田龍太の「子猫」の句

  黒猫の子のぞろぞろと月夜かな 『山の木』
  
 好きな光景の作品である。
 
 猫は春の季語「猫の恋」があるように、春に子猫が生まれることが多い。猫は交尾によって排卵、受精が起こるので、タイミングがあえば直ぐ妊娠するという妊娠率・出産数の高い動物。妊娠期間はおよそ二ヶ月。一度に生まれるのは、五、六匹ほどである。
 今宵の、黒の母猫と子猫の六匹ほどの散歩は、朧月夜の中である。
 子猫は鳥や獣に襲われることだってありそうだが、見事な月夜に曳かれて、母猫はつい子猫と一緒にうかれ出たのかもしれない。わが家は黒猫ではなく黒犬を飼っている。夜の散歩も大好きで、月の夜はことに気分がよさそうで、尻尾をずっと振りながら歩いてゆく。
 句の表面にあるのは「黒猫の子」の姿だけ。子猫は飼ったことはないけれど、よちよち歩きで、それぞれが勝手な方向に歩き出していそう。親猫が心配そうに一匹一匹に目配りしながら、ときには、列を外れた子猫の首を咥えてもどしたりしている。読者は親の目線だから、大変そうな光景が浮かぶが、なんと愛らしい光景だろう。
  
 飯田龍太(いいだ・りゅうた)は、大正九年(1920)―平成十九年(2007)山梨県境川村(現笛吹市)の生まれ。父は飯田蛇笏。昭和二十年、「雲母」復刊より石原八束とともに編集に携わる。昭和三十七年、父蛇笏の死により四男である龍太が「雲母」を継承。平成四年八月、主宰誌「雲母」を通巻九〇〇号で終刊した。

 第一句集『百戸の谿』では〈紺絣春月重く出でしかな〉など、ふるさと甲斐の風土の自然に魅了された生活を瑞々しい抒情と感性で詠む。『春の道』では〈一月の川一月の谷の中〉の代表句を詠み、『山の木』では〈かたつむり櫂も信濃も雨のなか〉と〈白梅のあと紅梅の深空あり〉など、誰もが知っている作品がある。
 だが、これらの作品ではなく、次の作品を鑑賞してみようと思う。一句に季語が二つ入っている作品なので、私の力で、解釈できるであろうか。

  葱抜くや春の不思議な夢のあと 『今昔』
 
 冬の季語「葱」と春の季題「春」である。どちらを主にして詠んでいるのか、どちらも考えてみた。葱は冬が一番やわらかくて美味しい。しかし、春に収穫する葱もあるという。だがこの句は、時系列に考えて解釈をしてしまうと、もしかしたら面白さが消えてしまうかもしれない。
 全体から感じる茫洋としたものが、この作品の不思議さであるとしたら、上五の「葱抜くや」と中七下五の「春の不思議な夢のあと」を同等に考えるのが相応しく思えてきた。二物衝撃のフラッシュバックである。
 「春の不思議な夢」は解釈はしない方が楽しい。