第百二十四夜 平井さち子の「初蝶」の句

  初蝶やちちんぷいぷいのよく効く子 『鷹日和』

 掲句をみてみよう。
 
 この作品を初めて見たのは、蝸牛社の秀句三五〇選シリーズ・21巻『虫』の編集作業の中であった。なんて愛らしい、と思った。子どもの小さい頃、転んだり、ぶつかったり、兄弟喧嘩したりする中で、痛い目に遭うと、すぐに母の胸に駆けてくる。怪我をしていれば「赤チン」がよく効いた。現代では軟膏が多いが、赤チンは痛いところに塗れば染みるし、真っ赤な色が魔法のように効いた。
 傷もタンコブもない場合には母に甘えたいだけ。子どもの甘えを見抜いたときの母のすることは昔も今もいつも同じだ。抱きとめて、「どこがいたいの?」と聞いてから、子どもが「ここ!」と見せる腕や膝小僧を撫でながら、まじめな顔をして「ちいんぷいぷい いたいのいたいの とんでいけ!」と、呪文を数回唱えれば「おしまい」。しかも特効薬である。この呪文は幼稚園の五六歳くらいまでだが、世界中のお母さんの魔法使いの役目は終わりとなる。
 イギリスでは、マザーグースの歌『Rain Rain Go Away(雨よ、雨よ、どっかいけ)』をもじって「Pain pain go away(ペイン ペイン ゴー アウェイ」と言っていた。「Pain」は痛み、「go away」はあっちへいけ、である。
 季題の「初蝶」は、春に生まれたばかりの、翅の使い方もたどたどしい、白い蝶であれば、まだ汚れの微塵もない美しさである。

 平井さち子(ひらい・さちこ)は、大正十四年(1925)は、東京都生まれ。昭和二十一年、夫の恩師中村草田男の「萬緑」に入会。昭和三十一年、高橋沐石の勧めにより、古舘曹人、深見けん二、有馬朗人らの同人誌「子午線」に参加。医師である夫の留学や赴任に伴いアメリカ合衆国、ついで北海道に移住。昭和五十八年、東京に戻る。平成二年、第三句集『鷹日和』により第三十回俳人協会賞を受賞。

 平成二十五年刊行の、第五句集『日々片々』の作品をみてみよう。
 
  白鳥を送らむ一夜の化粧雪 『日々片々』
  冥福とはいかなる福ぞ梅白し 『日々片々』
  
 一句目、宮城県伊豆沼での作。秋に渡来し、越冬した雁や白鳥などの渡り鳥たちが、春に再び北方の繁殖地へ帰ってゆく。白鳥を見送るために、一夜雪が降ったのだと詠んだ。「化粧雪」の言葉の美しさによって、白鳥の帰る飛翔の美しさを表した。
 二句目、(悼 吾子急逝)の前書がある。〈爪切りし十指組みませ花の旅〉〈逆縁のこの身も伴れよ流れ星〉など、子に先立たれた作品が痛々しい。
 掲句は、「ご冥福をお祈りします」と通夜や葬儀で言われる言葉だが、「冥福」とは「死後の幸せ」という意味。母親にとって如何ほどの慰めになろうか。いかなる福だというのか。親の悲しみは怒りである。季題の「梅白し」から、母の、悲しみの深さと子へ安らけしと祈る気持ちが哀しいほどに伝わってくる。