第百二十五夜 篠原 梵の「蟻」の句

  蟻の列しづかに蝶をうかべたる 『雨』

 掲句をみてみよう。
 
 アリたちは今日の収穫の蝶を、巣穴であるコロニーの女王アリの元へ運んでゆく。美しいまま地に落ちていた蝶を、運んでいるのであろう。梵には〈閉じし翅しづかに開き蝶死にき〉の作品もある。獲物を見つけると、運ぶ仲間を呼びに伝達役のアリがコロニーへ戻る。やがて大勢のアリたちが蝶を運んでゆく。アリの背丈の分だけ蝶は地面から浮いている。浮いたまま流れるように蝶が運ばれてゆく。人間が眺めれば、翅を拡げた蝶の文様を見下ろす行列は、想像するだに美しい。否、美しくなくてはならないのだ。
 梵の想像上の世界かもしれないが、創作とは芸術作品を拵えるようなものである。

 篠原梵(しのはら・ぼん)は、明治四十三年(1910)―昭和五十年(1975)愛媛県伊予市生まれ。俳号「梵」は、郷里では子どもを「ぼん」と呼んでいたことから。東京大学文学部に入学後、「石楠」の臼田亜浪に師事し、活躍する。昭和十四年、『俳句研究』八月号の座談会「新しい俳句の課題」に石田波郷、加藤楸邨、中村草田男とともに出席、この座談会をきっかけに四人は編集長の山本健吉により「人間探求派」と呼ばれることとなる。戦後は中央公論社に復職して仕事の忙しさもあったが、師の臼田亜浪の逝去の喪失感から俳句から遠ざかっていた。
 
 多作の俳人ではないが、好きな作品を紹介してみよう。

  葉桜の中の無数の空さわぐ 『皿』
  
 人間探求派と呼ばれた際に、梵の代表句と言われたのがこの作品である。私は、加藤楸邨や中村草田男の作品にみる難解さや苦渋に満ちたものは梵の作品からは感じることはなかった。やわらかな表現の中に、写生の目の行き届いたなかで、一歩突っ込んだ言葉が工夫されているのが梵俳句と思っている。
 この作品の工夫は、「無数の空さわぐ」であろうか。葉桜とは桜が散ってしまった後の青葉のことで、風に大きく揺れる葉と葉の戦ぎは賑やかだ。それを、梵は「さわぐ」と見た。葉桜の中にちらちら覗く空の輝きは、美しい蒼さではあるが、無数の空からの無数の眼差しを感じさせる怖さがある。
 
  吾子昼寝足が小さき叉(さ)をつくる 『皿』
  
 第一句集『皿』には、吾子俳句が多い。この吾子は第一子の女の子。「叉」とは、胴から足が分かれて出ている辺り。二股になっている所。夏の季題「昼寝」だから、おそらくオムツだけ。オムツからはみ出した足はぽっちゃりとして短い。「小さき叉をつくる」とはよくぞ言い得た表現だと思う。梵は、「や、かな」などの切れ字を使わず、むしろ動詞を多用すると言われる作家。「つくる」としたことで、赤ん坊は寝ている時もよく足を動かしていることが見えてくる。
    
  やはらかき紙につつまれ枇杷のあり 『皿』

 一句一章の詠み方から、傷にデリケートな「枇杷」の姿がよく出ている。夫の実家が長崎なので、六月になると「茂木びわ」が届いていたが、まさしく掲句の通り、上質の和紙にくるまれていた。
 「つつまれ」も「あり」も動詞である。ぴったり決まった動詞は、形の上では「切れ」はないが、句姿のよい、調べの美しい作品である。