第百二十七夜 荻原井泉水「たんぽぽ」の句

 荻原井泉水は、河東碧梧桐が子規の没後に起こした新傾向運動に参加し、季刊誌「層雲」を共に創刊した。暫くすると井泉水は、碧梧桐派の現代の新傾向に欠けているのは「句の魂」と「光」と「力」であるとして、自らの印象主義的象徴主義な道を示すために定型を離れた。それは、自らの印象の体律を表現するために突き詰めながら見つけた自由律であり短律であった。井泉水の言っていることは難しいけれど、作品は、自分の目で見、自分の心で感じ取ったものを率直に詠んだものだ。
 
 作品を見ていこう。                         

  たんぽぽたんぽぽ砂浜に春が目を開く 『生命の木』
  
 蝸牛俳句文庫『荻原井泉水』で、まず、従来の俳句にない詩的表現であることに驚いた。地面に葉を張って咲く「たんぽぽの黄」は、詩にすれば「春が目を開く」であろう。春の砂浜に開いた眼玉のようにも見える。砂浜に咲くのは「たんぽぽ」でなく同じキク科の「ハマニガナ」だと思うが、「たんぽぽ」として詩の調べになった。
  
  月光しみじみこうろぎ雌を抱くなり 『風景心経』
  
 子孫のために生きとし生けるものたちは生殖をくり返すが、雄の蟋蟀はすぐに死んでしまうという。美しい音色で雄は雌に近づき、やがてピタリと鳴き止む。月光に照らされながら雄と雌は抱き合っている。まさに、死をイメージして。井泉水の表現した象徴詩だ。

  わらやふるゆきつもる 『短律時代』
  
 十文字の短律。一軒の藁屋に雪がずんずん積もってゆく。この作品や、〈棹さして昭和のただ中〉〈月光ほろほろ風鈴にたはむれ〉の短律が、放哉や山頭火に大きく影響を与えたという。
 
  はつしと蚊を、おのれの血を打つ 『大江』
 
 蚊を打った。打ち殺した腕には、己の真っ赤な血が広がっているではないか。この句は、「はつしと蚊を」と「おのれの血を打つ」の間に読点「、」が入っている。〈月、天上天下寒に入る〉など他の作品にも見られるが、井泉水の考えた強い切れを表す型である。昭和四十六年、八十八歳の作。老うほどに、鋭い冴えを見せつつ物の本質に迫っている。絶唱は〈美し骨壷 牡丹化られている(うつくしこつつぼ ぼたんかわられている)〉である。牡丹と化して骨壷に入っていったというのか。

 荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)は、明治十七年(1884)―昭和五十一年(1976)東京都港区生まれ。俳人。俳論家。一高時代に「一高俳句会」を起こす。明治三十八年頃に井泉水と号。東大では言語学科でゲーテに親しむ。河東碧梧桐の新傾向運動に参加。明治四十四年、新傾向運動の季刊誌として碧梧桐と共に創刊したのが「層雲」。大正期に入ると、井泉水は、自然のリズムを尊重した無季俳句を主張。碧梧桐とは異なる俳句革新の道「自由律俳句」へと向かう。後に、碧梧桐との決裂により、井泉水の主宰誌となる。門下に尾崎放哉と種田山頭火など。