第百二十八夜 野見山朱鳥の「向日葵」の句

  われ蜂となり向日葵の中にゐる 『天馬』
    
 「向日葵(ひまわり)」の季題は、戦後間もない頃に詠む題材としては新鮮であったという。私は、映画の「ひまわり」を思い出す。主役はマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの戦争を挟んだ悲恋。カメラは、映画館の大画面一杯のヒマワリ畑を追いかける。それは地平線まで続くのか天まで続くのかと思うほどの、油を採るための広大なヒマワリ畑だ。大ヒマワリの花は種が黒々と育った頭部を垂らして風に揺れている。映画の「ひまわり」は悲しみの象徴であった。

 「ヒマワリ」の花というのは、頭状花序という多くの花が集まったもので、その周りに花びらをつけて一つの花のようにみえる形をしている。頭状花序の一つ一つの種から油が採れる。
 
 作品をみてみよう。

 掲句の向日葵の景は、明るさを感じさせてくれる。作者の目の前に、向日葵の花に一匹の蜂が飛んできた。花の真ん中は頭状花序だから、たくさんの蕊があり、花粉があり、底には甘い蜜もある。朱鳥は、いつかしら蜂になり、向日葵の中に入り込み、花粉を体中に纏い、蜜を吸っている。
 「蜂のごとく」と比喩にせず、「われ蜂となり」と自分が蜂に変身したことで詩情が出た。読み手も、向日葵の広々とした花の中の一匹の蜂になることができる。
 
 もうすこし、他の作品もみてみよう。
  
  蒲団開け貝のごとくに妻を入れ 『曼珠沙華』
  
 新婚初夜かもしれない。夫は掛け布団を少し開け、新妻を招き入れる。「貝のごとくに」が具体的なようであるが、それ以上に詩的である。夫の朱鳥の創刊・主宰した「菜殻火」の二代目が妻のひふみ氏である。結婚の翌年に夫の指導の下で俳句を始め、「ホトトギス」に投句した〈毛糸編むゆるき指輪のまはりがち〉が初入選であった。「菜殻火」は令和二年四月(通巻757号)で終刊し、六十三年の歴史に幕を降ろす。
  
  蝌蚪乱れ一大交響楽おこる 『曼珠沙華』
  
 蝌蚪の紐から孵ったばかりの蝌蚪たちの忙しなく動き廻るすがたが、「一大交響曲おこる」であろう。第一句集『曼珠沙華』のこうした作品を、「斬新な句風」であると虚子が喜んだことがわかるようだ。
  
 野見山朱鳥(のみやま・あすか)は、大正六年(1917)―昭和四十五年(1970)福岡県直方市生まれ。昭和二十年、高浜虚子に師事。二十一年「ホトトギス」六〇〇号記念号での〈火を投げし如くに雲や朴の花〉の作品が巻頭作家として脚光を浴びる。第一句集『曼珠沙華』の序で虚子は、「曩(さき)に茅舎を失ひ今は朱鳥を得た」と激賞。しかし、中学卒業時からの肺結核のため、虚子の説く「花鳥諷詠」ではなく、「季題を通して永遠の生命に触れようとする詩精神」として「生命諷詠」を説き、独自の浪漫的な心象詠の道に進んだ。最晩年の〈つひに吾も枯野のとほき樹となるか〉は『愁絶』集中の作。