第百三十一夜 あらきみほの「初花」の句

 「千夜千句」のブログを更新中のあらきみほ本人が、俳句作者としての顔を出したくはなかったのだが。
 今年も、守谷市にある西林寺の枝垂桜を尋ねてゆくと、高さもあり見事に均衡のとれた美しさで大地に触れんばかりの枝垂桜の大枝がばっさり伐られているではないか。
 一月前は、ただただ驚いた。その次は、果たして咲いてくれるかしら、と見に出かけた。西林寺の坊守さんがいらしたのでお話を聞いた。江戸時代にこの寺が出来た頃には既に枝垂桜はあったそうで、樹齢はわからないが、大枝が倒れそうな状態になって、危ないから樹木医さんに手を入れてもらっているのです、ということであった。
 莟は、もう出ていた。

 今日、改めて気を取り直して「俳人だもの、一句でも今の姿を俳句に止めておかなくては・・」と、句帳を携えて行った。心を落ち着けて、伐られた大枝や小枝の切り口を数えてみると二〇以上はある。切り口に白い薬液が塗られている。これでは樹形が変わったはずだ。正門からの眺めが一番美しかったので、がっかりしたが、大樹をぐるり一回りしてみると、裏側からの角度、左右に張り出した大枝の位置はそのままだ。
 莟の数輪が淡く白っぽい花になっている。初花であった。
 
 句帳にはメモのような俳句はたくさんあるが、次の三句を見ていただきたいと思う。

  初花の精とも見返り美人かな  令和二年
  
 本日詠んだ句であるが、この枝垂桜「江戸彼岸」を何年も見てきているのに、樹形の美しさを詠んでいなかったことに気づいた。「見返り美人」の言葉が浮かんだ。背が高く、下にゆくほど枝が広がっているので、大枝は振り向いたときの着物の裾の乱れのようにも、また長い袂の動きのようにも見える。
 「見返り美人」に合わせて「初花の精」とした。

  つぼみひとつあまさず桜しだれけり  平成十九年 綻ぶ
  
 わが家から近いので、毎年数回は見ているが、この句は満開の枝垂桜を詠んだもの。高い空から大地まで流れるように枝々に綻んで咲いている桜を詠みたかった。間近に眺めると、莟は残ってはいなくて全てが開花していた。富安風生に、「まさおなる空よりしだれざくらかな」という句がある。市川真間の弘法寺の「伏姫桜」を詠んだ代表作である。
 ずっと頭にこびりついてはいたけれど、私も、この光景はどうしても平仮名で詠んでみたかった。

  花の寺一茶鶴老一歌仙  平成二十四年
  
 西林寺には、天台宗のお寺で、延喜二年(902)に比叡山の延昌慈念僧正によって現在の守谷市高野に創建され、元禄四年(1691)に現在の守谷市本町地に移されたと伝えられている。平将門ゆかりの相馬氏の菩提寺。この寺には、小林一茶の句碑がある。最初に、櫻井蕉雨とともに初めて一茶がこの寺を訪れたのは文化七年(1810)六月十四日で、以来九回訪れている。西林寺の六十四世義鳳上人は俳号を「鶴老」といい、地元の俳人とともに歌仙を巻いたという。
 この句は、西林寺に通う間にすこしずつ調べ、田辺聖子の『ひねくれ一茶』で出てくる一茶と鶴老の忌憚のなさも込めている。