第百三十二夜 大串 章の「木の葉」の句

 『秀句三五〇選 風』を蝸牛社から刊行した頃、氏の第三句集『百鳥(ももどり)』が上梓された。その後、結社誌「百鳥」を創刊し主宰されている。懐かしい句集『百鳥』に絞って作品を紹介してみようと思う。

  老木のふっと木の葉を離しけり 『百鳥』
  
 木の葉の落ちる様子を眺めていると、風があるわけではないのに一枚・・また一枚という木の葉の落ち方をしている。老木が木の葉を離そうとしたのでもなく、木の葉も自ら老木を離れようとしているのでもない。そんな風に感じた。
 私に、「その時」という言葉がすうっと過ぎった。老木の心と木の葉の心が一つになったその瞬間が「その時」なのであろうか。「ふと」でなく、息を吐き出すと同時に漏れた「ふっと」が、じつに的を射た言葉であったのだ。十七文字の中の三文字の副詞の効果である。

  鳥渡るセザンヌの山ミレーの田 『百鳥』

 「鳥渡る」は、繁殖地と遠く離れた越冬地との間を、年に一度定期的に往復する鳥のこと。渡り鳥が飛んでゆく光景であるが、例えば、秋の「雁」は北方から温かな地へ越冬しに飛んでくる。海を越え、山を越え、畑をゆく眼下に広がる光景は、セザンヌの作品のごつごつしたタッチの山肌や黄落の彩りであり、ミレーの「種まく人」「落ち穂拾い」など農民を描いた作品の豊かな大地の色彩に満ちている。
 渡り鳥の目線と一体化している作品であることが素晴らしい。

  木の実落ち幽かに沼の笑ひけり 『百鳥』

 木の実の落ちた沼の水面の凹みも「幽(かす)か」となれば、木の実の落ちた数は一つか二つで、沼の静けさが壊されないほどの小さな音であった。その水の凹みを、口元をちらっと動かす笑窪のような「笑い」であると、大串章は捉えたのだ。

  子規にありし短気と根気柿二つ 『百鳥』
  
 子規の「三千の俳句を閲し柿二つ」の作品を思い、この句を小説のタイトルにした高浜虚子の小説『柿二つ』を思った。
 さらに、亡くなる前日まで病床で書いた子規の『仰臥漫録』を思った。そこには、日々食べたアンパン、葡萄、柿の数が事細かに書かれている。アンパンの数は、子規がもっと生きたいという希望の源泉であり、毎日欠かさず綴ることは、子規の「根気」の部分だ。
 死を間近にして、俳句革新、短歌革新、文章革新とやるべきことを成し遂げた子規だが、苛立つほど気になっていたことが、俳句の後継者として願っている虚子が一向に態度を明らかにしないことにあった。心身の痛みが綯い交ぜになって「短気」が出てくる。
 「短気」と「根気」とは、子規の性格と人生をうまく言いおおせている。

 大串章(おおぐし・あきら)は、昭和十二年(1937)佐賀県嬉野市生まれ。「毎日中学生新聞」に俳句等を投稿。同人誌「青炎」「京大俳句会」に参加。昭和三十四年、大野林火主宰の「濱」に参加。平成六年、「百鳥」を創刊、主宰。〈酒も少しは飲む父なるぞ秋の夜は〉の第一句集『朝の舟』で俳人協会新人賞を、〈春田より春田へ山の影つづく〉の第四句集『大地』で俳人協会賞を受賞。平成二十九年より俳人協会会長。