第百三十六夜 池内友次郎の「おぼろ月」の句

  くちづけの動かぬ男女おぼろ月 『池内友次郎全句集』

 池内友次郎(いけのうち・ともじろう)は、明治三十九年(1906)―平成三年(1991)、東京麹町の生まれ。「ホトトギス」主宰の高浜虚子の次男で、父方の姓である池内を継いでいる。音楽家、作曲家、俳人。昭和二年、パリ音楽院に入学、昭和十二年までパリで作曲技法を学んだ。
 
 作品をみてみよう。
 
 昭和初期の日本ではおそらく見かけることのない、まさに、パリならではの光景であろう。小説で読んだことのある光景であり、フランス映画では、セーヌ川の辺り、落葉の降る頃、そして作品のような「おぼろ月」の下など、恋人同士の抱擁したまま動かぬシルエットに憧れたこともあった。

 パリ留学中の友次郎は、こうした斬新な海外詠を「ホトトギス」に投句していた。同じパリでの作品〈雪の夜の物語りめく寺院かな〉〈水ととと枯木の影の流れをり〉など、「ホトトギス」の雑詠句評会で取り上げられ、高野素十は「音楽家がこういう句風もあるということは面白いことと思う。」と言い、父の虚子は「新しき手法の一作者を見出した感じがする。」と述べている。
 
 昭和十一年と言えば、虚子が四女の章子を連れてヨーロッパ旅行をしている。旅の目的の一つは、音楽留学でフランスに十年も滞在中の次男の友次郎を一度は訪ねたかったこともある。フランスのマルセーユ港に到着した虚子を迎えた友次郎は、パリ、ベルギー、ドイツのベルリン、イギリスのロンドンと、およそ四十日間のヨーロッパ滞在中をともに過ごした。

 虚子は、ベルリンでは三菱商事の藤室益三夫妻に迎えられ、食後には藤室夫妻、虚子、友次郎による小句会をした。次の句は、この時の作。虚子の『渡仏日記』では〈巴里の月伯林の月春の旅〉と表記されていた。

  パリの月ベルリンの月春の旅 『池内友次郎全句集』
  
 パリの月を父や妹の章子と仰ぎ、ベルリンに行けばベルリンの月を仰いでいる。久しく会わなかった家族とともに仰ぐ月の何と美しいことであろうか。日本では母も兄も姉たちもこうして月を仰いでいるかもしれない。日本人にとっては月という自然は、心の故郷ほどに大きなもの。この句の季題は「春」。
 虚子はこの旅で、フランスのハイカイ詩人クーシュ―にもベルリンでハイクを詠む詩人にも、「俳句の季題」というものを理解してほしいと願っていた。

 〈初鏡眉目よく生まれここちよし〉〈秋風や嘘言はぬ人去つてゆく〉などの作品にも感じるが、季題を大きく包むような、音楽家ならではの友次郎のリズムがあるのだろう。