第百三十七夜 深川正一郎の「満月」の句

  満月に正面したる志 『深川正一郎句集』
  まんげつに しょうめんしたる こころざし

 作品をみてみよう。
 
 茨城県南に住む私は、関東平野の真ん中なので、空は360度ぐるりと見渡すことができる。月見の好きなポイントの一つが牛久沼の西側の高台で、月の出を真正面に眺めることができ、沼に月影を長々と落としてくれる。お伴の大型犬の黒のラブラドール・リトリバーは番犬になるので、私は一人になって月に向かうことのできる場所だ。

 俳人は夜空の星や月を眺める人が多いが、満月は格別だ。きっと「正面したる志」とは、満月を見上げて佇み、月に話しかけ、自分の心を確かめたりすることのように思う。 
 正一郎がこの句に触れている言葉がある。
 「花の咲いている間は花を詠い、月の懸かっている間は月を詠じたい。(略)花のよい句をもち月のよい句をもちたい。生涯、このよい月を真向うに眺めて月の句を作りたい。」
 「俳句を作るときも、私は面(めん)をうち込むようにま正面から対象に斬り込みます。『満月に正面したる志』という句を、澄み切った月に対して詠ったこともありました。」
 正一郎は、幼い頃から祖父に剣道を仕込まれていた。
 
 今回参考にしたのは、日本伝統協会叢書の『深川正一郎句集』と昭和俳句文学アルバム25巻の『深川正一郎の世界』である。ともに編者は、正一郎の長女でありホトトギス同人の川口咲子氏である。〈咲子てふ佳き名決まりぬ花の下〉〈若水や父にやさしき娘をばもち〉の咲子氏である。
 
 深川正一郎(ふかがわ・しょういちろう)は、明治三十五年(1902)―昭和六十二年(1987)、愛媛県四国中央市の生まれ。昭和十年、日本コロンビアへ俳句の吹き込みに来社した高浜虚子と出逢う。それ以降、虚子、年尾、汀子と三代にわたって師事し「ホトトギス」の重鎮となる。俳誌「冬扇」を創刊・主宰する。

 日本コロンビアで朗読した虚子の俳句は、平成二十一年、虚子没後50年記念「子規から虚子へ展―近代俳句の夜明け」展を、横浜の神奈川近代文学館を訪れたときに、テープから流れている声を初めて耳にした。私はその日〈大虚子のお声ぼそぼそうららけし みほ〉と一句詠んだが、俳句からも写真からも感じたとおりの鬱然としたお声であった。

 わが師・深見けん二は、昭和十六年に初めて虚子の句会に参加した「大崎句会」で正一郎に出会い、その後、直接俳句を見てもらうようになった正一郎の門下である。
 カルチャーで学んでいたころ、また「花鳥来」の総会や忘年会などで、けん二先生は、「深川正一郎先生」と言っては作品とお人柄のお話をしてくださっていた。

 代表句をいくつか紹介しよう。

  三田といへば慶應義塾春の星
  白といふ色をたためる扇かな
  年流る我といふもの置きざりに