第百四十夜 折笠美秋の「雪」の句

 まず、プロフィールから見てゆこう。

 折笠美秋(おりがさ・びしゅう)は、昭和九年(1934)―平成二年(1990)、神奈川県横須賀市生まれ。昭和三十三年、早稲田大学在学中から「早稲田俳句会」に参加。卒業後は東京新聞社に入社。新聞記者として働きながら、創刊されたばかりの「俳句評論」の編集同人となり、高柳重信に師事。昭和五十七年、四十八歳のとき筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。北里大学病院に入院し、気管を切開して人口呼吸器を装着。自発呼吸ゼロ、全身不随。
 美秋の句稿は、妻智津子が目と唇の動きを読みとって、清書した。わずかに動く口と目だけで夫人に意志を読み取ってもらいながら句作を続けた。

 作品を見てみよう。

  微笑が妻の慟哭 雪しんしん 『君なら蝶に』
  ほほえみが つまのどうこく ゆきしんしん
  
 プロフィールを先に紹介したのは、美秋が、四十八歳という若さで筋萎縮性側索硬化症(ALS)という重い難病にかかり、全身不随となり、声に出して言葉を発することが出来なくなっていたからである。
 妻智津子と話をするときも、口のわずかな動きと目の動きと表情だけであった。俳句を作るときも、妻は夫の口元に全神経を集中させて一文字一文字読み取っては、紙に書いて、目で確認をした。
 夫美秋の作品は、このようにして妻のことを詠み、死を詠んだりしていたのであった。

 妻は、夫の「生きんがための俳句」を書き取る間は、きっと笑みを絶やすことなく、涙を見せることはなかったのだろう。もちろん夫は、微笑の裏にある妻の慟哭は承知の上である。治る見込みは決してないという病気の夫に付き添っている妻。夫は、妻への愛も死への恐怖もすべて作品にさらけ出してゆく。
 「ほ・ほ・ゑ・み・が・つ・ま・の・ど・う・こ・く・ゆ・き・し・ん・し・ん」と、一句の生まれるまでの遥かなる時間と労苦を思ってしまうが、こんな風にして作品を二人で作り上げてゆくことは、誰もが為し得るという愛の形ではない。
 
 有名な代表作と、最晩年の作品を紹介する。

  ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう 『君なら蝶に』
  ととのえよ死出の衣(い)は雪紡ぎたる 『死出の衣』

 一句目、全身不随の夫から妻へのラブレターかもしれない。
 二句目、「ととのえよ しでのいはゆき つむぎたる」というリズム。「死出の衣」は白衣だが、それも降る雪を紡いで用意をしておくれ、という最後の願いであろう。