第百四十三夜 秋元不死男の「蟬」の句

  子を殴(う)ちしながき一瞬天の蟬 『街』

 男の子を叱るとき、父親が身をもって殴たねばならない時がある。ここぞという時の一打でなければ教育的な効き目はないのだが、父が幼い子の、触れてみれば柔らかな頬を、叩くのはさぞ哀しいだろう。子を殴った瞬間の、永遠のように感じられる刻の長さ、掌にのこる子の肌の感触は、いつまでも父の心を攻め立てる。後悔と慚愧とわだかまりは、悪いことをした子だけでなく、子を殴った父の心にも大きな渦となって残る。
 頭上から降りそそぐ蟬の声が、天の声のように響いている。

 金子兜太監修、荒木清編集の『日本の名俳句100選』(中経出版)は、10のテーマに分かれてをり、不死男の作品は「愛」に分類されている。

 秋元不死男(あきもと・ふじお)は、明治三十四年(1901)―昭和五十二年(1977)、神奈川県横浜市生まれ。横浜火災海上保険会社に入社。昭和十年代には東京三(ひがし・きょうぞう)の名で、島田青峰に師事し「土上」「天香」に参加。プロレタリア文学の影響を受けた「生活俳句」を詠んだ。
 この頃に新興俳句運動に加わり戦争俳句を詠んだことで、京大俳句事件に連座することとなり、昭和十六年の新興俳句弾圧事件では二年間の獄中生活を経験。戦後は、秋元不死男の名で山口誓子の「天狼」で活躍。昭和四十三年、〈三月やモナリザを売る石畳〉〈冷されて牛の貫禄しづかなり〉など収めた第三句集『万座』にて第2回蛇笏賞を受賞。

 戦前戦後を駆けぬけた不死男の俳句作品を、もっと紹介しよう。

  獄凍てぬ妻きてわれに礼をなす 『瘤』
  
 この作品は、新興俳句弾圧事件での獄中生活の最中、面会に来た妻が去るときに夫の不死男にお辞儀をしたというもの。日本が第二次世界大戦に突入する昭和十六年の頃、戦争反対の俳句を詠む結社誌の主要メンバーを治安維持法違反の罪で弾圧し投獄したのだ。不死男には〈降る雪に胸飾られて捕へらる〉の作品もある。「降る雪に胸飾られて」の言葉には、どこか誇らしさが漂っている。面会に来た妻も、きっと夫の作品と生き方を尊敬しているからこその「礼」ではないだろうか。

  鳥わたるこきこきこきと罐切れば 『瘤』
  
 この作品は、戦前の刑務所から出だ後のことか、それとも罐詰など輸入品のようなので戦後かもしれない。「鳥渡る」は秋。繁殖地のシベリアから暖かな日本で越冬するのはガンやハクチョウ、春に飛んできて繁殖してから南へ帰るツバメなどがいる。空高く渡ってゆく鳥を眺めながら不死男は罐詰を開けている。「こきこきこき」とは、罐詰を開ける音。今は貧しいけれど、戦後という新しい時代をこじ開ける音のようでもある。〈へろへろとワンタンすするクリスマス〉の句は、終戦の年に生まれた私でも、お洒落なクリスマスはずっと後のことだったから、懐かしさがこみ上げた。